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サヨナラといったんだ。きっと… [One's Boyhood story]

ハムスターを飼い始めてから、ボクの娘達は今のところ犬を飼いたいという気持ちが少し薄れているような気がする。
正直ほっとしている。
ボクと犬のつながりは飼っていると言うよりも、一緒に育ってきた兄弟のようなものだったので、失ったときの喪失感はもう、表現しようがなかった。


高校二年の11月。
その日、ボクは確か期末の試験中だったので午後早い列車で帰宅した。
玄関の引き戸を開けると大きな段ボールが置いてあって、そこに彼女の使い慣れた毛布が敷いてあった。
ここ数日で凄く消耗した彼女はその中で早く、辛そうな息を吐いていた。
声をかけると横になったままでパタッ、パタッ…と力無く尻尾を振った。
渇いた口許から犬歯がのぞき、食いしばっているけれど舌先が外に出ている。
側に母が置いたミルク皿があり、8分ほどになった牛乳瓶が置いてあった。
脱脂綿を牛乳に浸し、口の周りを湿してやるとほんの少し口を開け二、三度舌先を動かすが、すぐにまた浅く早い息づかいに変わる。
頭から背中にかけて撫でながら、台所の母に聞いた。
「獣医さんは?」
「来てくれたけど、ね。やっぱり…お産の失敗だって、今日か明日、苦しむようだったら薬でも楽にしてあげられるといっていたよ。」
「…うん。」
母はボクを説得するのではなく、ボクに決断させようとしていたようだ。
学生服のまま、まだ玄関から上に上がっていなかったボクは、二階にカバンを置きに行こうと、立ちあがりかけた。
その時、横になったまま動くことも辛そうだった彼女が、がばっと起きあがり、
「ひゅうん…」と僕を呼ぶ時の聞き慣れた声で鳴いた。
振り返った僕は横座りのまま、震える前脚を突っ張って座り、体を捻った姿勢でボクを見上げる彼女を見た。
彼女の大きな黒目にくもりはなく、じっとボクを見つめていた。
彼女にはもう、時間がないのだとその時ボクは痛いほど判った。
「…もう、いいのか?」
ボクは確かそういったと思う。
数瞬ボクは目を合わせたまま彼女を支えようと身をかがめかけた。
でも、ボクの両手が、彼女を支える前に彼女は糸が切れて、生命感が失われたように、毛布の中に崩れた。
ボクはその時生まれて初めて死の瞬間を見た。
「おふくろ…」
振り返ったらいつの間にか台所から母が出てきていた。
「一生懸命待ちょったんだねえ、あんたが帰ってくるのを…」
鼻の奥がつーんとして、目の下が熱くなった。
小学校入学以来、人前で泣いたことはなかったけれど、涙が溢れるのをどうすることも出来なかった。
ボクは光がなくなった彼女の両目を押さえ、めくれた口許を元に戻そうとした。
熱でひからびた口許は元に戻らなかったけれど、閉じた目は安らかだった。
皮肉っぽい目でボクのやることを眺めていて、何をするにも平等を求めた彼女が、「ありがとう」とボクにいったとは思わないけれど、ボクはあの時確かに「さようなら」と言われたような気が、今でもしている。


その年、父が将来の為にと購入した裏の城山の墓地に、彼女は誰よりも先に埋葬された。
ボクが探してきた石が今でも納骨堂の隣に据えてあり、我が家の墓参りには一輪ずつ花を指す。
あれほど親密に、あれほど一緒になって暮らすことが今の暮らしで出来るとはとうてい思えない。
『犬を飼う』ということに、ボクの娘達が持つ望みのレベルが届いているとは思えない。
それから40年近く、ボクには何度か犬を飼うチャンスはあったけれど、ボクを含めて家族の誰も、あの時のように『犬を飼う』ことは出来ないと知っていた。


長女の期末試験が終わった。
11月ももう終わりかけている。


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