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危険って何だろう… [One's Boyhood story]

フィールド・アスレチックはなかった。

でも、丸太は自分の家の前の製材所に山ほどあった。
それは、あの頃のボクにとっては広大だった製材所の中にうずたかく積まれていて、延べ板に切断されて乾燥させている木板は『井の字』に組まれて3メートルほどの高さに積み上げられていた。
幼稚園から帰ると、ボクやボクの家の向こう三軒ほどの小さな家の子供達は、その絶好のフィールドが遊び場だった。

魚を釣るか、溝で陸蟹を捕るか、裏山でシダの葉をVの字形にむしり、グライダーのようにどこまで飛ぶか競争するか、そんな遊びを男女の別なくやっていたけれど、一番の遊びは製材所の材木の中での『かくれんぼ』だった。
輸入されたラワン材の大木の積み上げられた、丸太と丸太の間のくぼみや、『井の字』に組まれた檜の板をよじ登り、真ん中に空いた空洞に降りていって息を潜めた。
丸太の間や板の隙間から鬼になった子供の足元が右に左に消えては現れるのをちょっとドキドキしながら待ち、見つかりそうになると、積んである丸太の上を重さのない猫の様な素早さで駆け上がり、跳び、滑り降りた。
木片のチップを頭からかぶり、砂の中で身を潜めるカニのように息をした。
息をすれば杉や檜の樹液の甘い匂いが肺の奥深くしみこみ、ボクラは半分以上木の中に溶け込んでしまっていた。
ボク達子供はそのフィールドで自分たちの両親の姿を一度も見たことがなかった。
多分子供達が何をしているのかなんてことより、自然に育ってゆく子供達より、もっと心配な暮らしの先行きを考えていたのかも知れない。
製材所で働くおじさん達がボク達子供を排除したことは一度もなかった。
今考えるとかなり危ないことを平気でしていたはずなのに、あの頃の大人は危険の許容範囲がずいぶん広かったように思う。
今のお母様方が公園で我が子を眺めるようなレベルの安全はどこにもなかった。
子供は危ないことが好きなのだ。
丸太と丸太の間を跳んで渡ろうとして滑って、転ぶ。
膝をすりむく。かばった掌に木の棘が刺さる。
落ちた原因が丸太と丸太の距離が遠かったとか、ちゃんと積まれていない材木が動いたせいだとか、そんな積み方をすると子供達が遊んだときに危険だとか、顔色を変える親は1人も居なかった。
「ヘタだねえ、○○ちゃんは落っこちたことないっていってたよ。」
掌の棘を縫い針の先を火であぶって消毒し、ボクの掌から棘を取り出しながら母は言った。
そうなんだ、落ちるのは自分がへたくそだからだ。
ボク達は普通にそういわれ、普通に納得していた。
ただ、製材所のおじさん達も母親も、ボク達子供がチェーンソーに近づいたり、裁断機に触ろうとすると大声で怒鳴った。
そこには必然の危険があって、当時の大人達が血相を変えて制止しなければならない確実な危険の認識があったのだろう。
偶然の領域は許されていた。今でもそう思う。
材木の間で足をはさんで骨折した友達は、治るまでボク達が遊んでいるのを悔しそうに見ていた。
つまらなさそうに石垣にもたれているその子を見て、お母さんは「すぐに治るからまた遊んであげてね」とボク達に声をかけて夕方の買い物に出かけた。
小さな超人ハルク達は偶然の危険のフィールドで何の覚悟もせずに遊んでいたけれど、転んだり、膝を擦りむいたり、棘が刺さったりすることを、『危険』なこととは言わなかった。
もっと思い切っていえば、脚の骨を折ることすら『危険』とは言わなかった。
スーパーマーケットの近くの公園にあった木製の滑り台で20年目にけが人が出た。
20年間何も起こらなかったその滑り台は滑り台のヘリを歩いて逆に登ろうとした子供が転倒して怪我をしたことで、危険だからと撤去が決まった。
今の大人達の危険の許容範囲外なんだろうね。
怪我をした子供は『今度はもっと上手くやろう』とチャレンジする機会を失った。
危ないから。

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