Band of Brothers - 何故、我々は闘うのか [Movie]
『プライベート・ライアン』で描いた世界をさらに深く掘り下げるべく、さらに映画で限定される説得の時間をノンフィクションの枠の中に展開するため、このきわめてプライベートな戦争ドラマは10話の枠で10時間余りという構成で製作された。
戦争物のとラマとしてはきわめて掘り下げの深い物語だと言える。
物語は42年から45年までの3年間、第二次世界大戦中、米陸軍101空挺師団第506パラシュート歩兵連隊のなかのエリート部隊「E中隊」の苛烈な戦いのプロセスを、兵士たちの人間模様を軸に描いたものだ。
でも、ボクとしては真実を語るための時間としてそれが適切なものかどうかとか、作品自体の出来がどうだとか言うつもりはさらさら無い。
ただ、YouTubeで観たその映像の部分にベートーヴェンの作品131の弦楽四重奏曲を使用したシーンがあって、その使い方に非常に胸に迫るものを感じた。
この曲はボクの最も好きな曲であり、全ての解決が終楽章によって解放される部分を本当に素晴らしいと思っている。
その曲が物語の映像をバックに使われていた。
ただし、そこには終楽章に至る安息と諦念、悲嘆の結晶と透明な浄化の橋渡しをするアンダンテ・クワジ・ウン・ポコ・アンダンテのあの澄み切った哀しみが流れるのみであった。
本来ならば一拍おいて総奏される四つの楽器の下げ弓が強くアレグロに繋げる部分が、消え入るように糸を引いて閉じてしまい、ヴァイオリンはそこで演奏者の無言の諦念とともにケースに戻され、ふたが閉じられるのです。
それは展開される映像の残酷と酷薄と正と正がぶつかり合うときの救いのない悲劇の真実に近いものが確かに予感された。
そこには終楽章のあの俯いた貌が自然とあがり、再び前を見据えることができる解決の音楽がないのです。
イマジネーションによって生み出された精神の芸術と事実を克明にすることによって普遍的な精神に達しようとする映像の違いがまざまざと見えた気がしました。
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