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認知症のこと-覚悟の電話 [雑考]

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認知症は今世紀になって突然この世に降って湧いた病気ではない。
平成18年までは『痴呆』といった。
いわゆる『呆け』という何とも罵倒的な言葉で病状を表現することもあった。
いくつかの種類があり、高齢者に限定すれば加齢による老人性認知症。
いわゆる脳梗塞の後遺症として生じる脳血栓性認知症、脳の萎縮が主たる原因で生じるいわゆるアルツハイマー型認知症。
きわめて大まかな分け方だけど家庭での発見の目安としてあげられる「もの忘れがひどい」、「判断・理解力が衰える」「時間・場所がわからない」「人柄が変わる」とかいう早期発見の目安の中にはこれらの病気や症状が混然としている。
現代医学の最先端には今、幽かな光明が見え始めたけれど、現時点でいわゆるアルツハイマー型の認知症については治療薬はない。
昨年まで薬といえば一種類しかなく、3mgの錠剤から通常5mg(10mgまで服用できる事例は確認している。)で通常朝服薬する。
治療薬とはいわない。その症状を緩和し、認知症状の進行を遅らせる効果があるだけである。
近年この薬の特許が切れ、後発の薬品がいくつかできた。狭心症の薬のように患者の皮膚に貼り付けて使用するタイプのシート状のものもある。
でも、新薬は投与されて1週間経つと経過を見るためにまた病院へ連れて行かなければならない。
高齢者を抱える方々は仕事と自分の休日を削りながら忍耐強く家族を支える方もいる。
それが当然とはボクは思わない。
それを貫徹すると認知症の患者は余りにも凄絶な家庭破壊を招く原因になることだってある。疲れ切ってしまうのです。
だから支えきれず、また、より安全な日常生活を送ってもらうために施設を訪れる人を非難することはできない。
よく昔は家で面倒を見たものだといわれる方がいるけれど、昔の家の単位は抱えている人数が多かったし、一人暮らしの高齢者の数も少なかった。
今のような孤独は少なかったんですね。
ただの物忘れというレベルから『少し変だ』と思えるレベルを見つけるためには会話がなければならない。その方のふだんのADL(日常生活態度)が判っているレベルの接触が必要です。
たまに一人暮らしの田舎のおばあちゃんに電話するくらいではその進行なんてとても判らない。
だから、たまに田舎に帰ってその暮らしぶりを目にして驚愕する。
早期発見はできればそれにこしたことはない。
そのために認知症 診断を受けることができる認知症 病院は実は町の診療所から脳神経科や脳外科を持つ大きな病院まで沢山ある。
認知症 症状には様々なものがあり、進行によって様々に変化する。
もっとも厄介なのは要介護度は低く、認知症が重度である場合。
つまり、他人からは自立しているようなお年寄りでありながらその行動の基底に理性的で合理的なものが失われている方です。
まず、家族の説得は困難です。お医者さんのアドバイスも受けているときは神妙ですが、病院を出たら完全に忘れ、病院へ行ったこと自体記憶にないのです。
病院へ行ったこともないのに、ご家族は彼や彼女に大量の薬を飲ませなければならない。
飲ませられる方はどうでしょう。
病院へ行かなかったことは彼や彼女にとって絶対的な記憶の真実なのです。
家族は嘘を付いて、自分に何らかの理由でわけの判らない薬を飲ませようとする。そう信じ込む。
やがてはそう信じ込むことすら忘れる時期が来るのでしょうが、その時は目の前の家族の名前も思い出してはくれなかったりするのです。
『家』の単位から離れて久しい今の日本の暮らしが、認知症の初期症状の発見を遅らせます。
『おばあちゃんが変なこといってるよ。』
『さっき買い物に行ったのにまた同じものを買ってきた。』
『さっき食べたでしょ?』
『おばあちゃん、トイレに入ったら流さなきゃ』
『おじいちゃん、最近ご飯食べるのが速くなったね。』
『あんなに好きだったお風呂にも面倒くさがって入らなくなった』
『おじいちゃんと喧嘩するおばあちゃんを初めて見た』
『カレーライスなんて嫌いで絶対食べなかったのにおじいちゃん夜中にお鍋を空けて食べてたよ。』
早期発見のヒントは日常に溢れています。
でも、その日常の中の異常を見つけるほど家族の生活が接近していないのが現実です。

人生の終わりに『死』の持つ意味を知覚し、怖れを認知しないことはある意味天の配剤であるかとも考えることがあります。
早期発見によってその進行を遅らせることで自分の母や父とお互い分かり合えたまま終わりを迎えることができるのなら、それは幸せだと考えます。
医学の進歩はめざましいし、医者は薬だけでなく、単純な計算や思考訓練で『認知』を回復させる研究も行い地道な努力を続けてくれています。

遠く離れて暮らしている父母に電話を欠けて安否を聞く。
その電話は久しぶりに掛ける近況報告であってはならない。
少なくとも年に一度は試みる覚悟に電話です。
家族がそれしかできなくても、その会話の中にある昔のこと、最近のこと季節のことその日のこと、孫の年齢、住んでいる場所様々な会話の断片にも情報が溢れています。
知ることができて、それを確認したら、迷わず病院での診断や父や母が暮らしている市町村の地域包括支援センターに相談することをお薦めします。

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コメント 7

ponnta1351

身につまされます。
幸い両親とも認知症にはならずにに精神は正常のまま亡くなりました。
私がこの先どうなるか(w_-; ウゥ・・

市の健康診断でも一人で外出できるか、電話番号を調べて電話出来るかなど、笑っちゃう設問が有ります。でもいつまで笑って居られるか?
by ponnta1351 (2012-07-16 16:00) 

glennmie

数年前、家の近くに小さくておしゃれな老人ホームが建ちました。
お年寄りの方たちが楽しそうに散歩をしているのをよく見かけました。
当時飼っていた犬を連れて遊びに行ったり、ピアノを弾きに行ったりしたんです。
去年久しぶりに訪問したら、皆さん認知症になっていて車椅子に座っていました。
老いは子供の成長より速いんですね、愕然としました。
考え込んでしまいます・・・・
by glennmie (2012-07-16 16:58) 

Mineosaurus

私の従兄弟は精神科で高齢者病棟の院長をやっていますが、毎日数十人の認知症お年寄りを相手にしています。その彼が一人の母親に手を焼いている姿は家族は患者とは別物なのだという印象を強くしました。昨年の夏、池貞祥という俳人の葬儀に参列したとき、彼に会い母親が施設に入ったのを知らされました。私の父の妹です。
父親を早くから失い、女手ひとつで二人の子供を医者に育てた厳しく男勝りな女性でした。今は私の顔も名前も忘れていますが、それまで私が一度も見たこともない柔らかな笑顔を向けてくれました。認知症は本当に病気なんだろうか。施設の長を任されていてもふと思うことがあります。人生の終焉に近づいて用意され、たまたま選んだ最後の選択肢のようにも思えてきます。

by Mineosaurus (2012-07-16 17:28) 

yakko

こんばんは。
今は自分自身のことが心配です・・・(-.-;)y-゜゜
by yakko (2012-07-16 21:45) 

Silvermac

 言葉の引き出しが中々開かないとがあります。年齢相応の現象と思っていますが、認知症との見分けは難しいですね。
 実妹がガン手術時の麻酔で認知症を発症する可能性があると言われていましたが、たまに会うくらいでは分からないような症状です。
 私も駄文を書けばいくらか予防になると願っていますが。人生の終焉が穏やかなことを祈るばかりです。
by Silvermac (2012-07-16 22:23) 

SU-SAN

ぼくも身に詰まされます。
家族、親戚、恋人と。取り返しのつかないような
見落としはしないようにしたいです。

by SU-SAN (2012-07-17 20:32) 

ラコ

祖母が現在進行中。症状はまだ軽いと思います。
(病院に行き、定期的に薬を服用しています)

家が隣なので、いつでも見ることは出来ますが、
これからの事を思うと不安はどうしても拭えません。
by ラコ (2012-07-19 21:27) 

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