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感性の普遍 [音楽]

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止みきらぬ雨粒がまだ湿ったままの石畳にはねる。
音空間に注ぐピアノの音はそんな風に方向性を持っていて
主題を引き継いでゆく弦楽のアンサンブルがとても絵画的に動く。
優美で涼やかな雨上がり。
情景的な音楽です。
ダンディの音楽は室内楽のいくつかとフランス山人の歌による交響曲くらいしかなじみがない。
ギョーム・ルクーの第2の師であることは承知しているけれど、作曲家としての個性はいまひとつはっきりしなかった。
何度かこのアンサンブルを聴きなおしていて 変容していったフランス音楽の中の『印象派』の意味と戯れた。
もともと絵画の『印象派』の語が使用されたのは、音楽の全体像が核がなく滲んでいて光の当たり方を定めない例えばルノワールの絵画のよう、につかみどころのない抒情を揶揄したものだったと理解されている。
でも、そこには音楽的な霊感にいたるヒントが溢れ返っていて『それだ!』と感じ取った音楽家がたくさんいたのだろう。
無調と不協和音に進む音楽が『試みの音楽』として芸術的可能性を追求し、大多数の聴衆を置き去りにしかねない危機感と憂いを鋭い感性で回避し人間の本性が持っている抒情への本能的な回帰を目指す。
感性に触れる音楽。
1+1=2ではなく、2=∞の方向性。
音楽評論家諸氏の固定的評価を拒む価値観。
音楽は進化したか?
それを聞くものの圧倒的多数の望みどおり深化したか?
近代的叙情性や現代的それのすぐ隣にボクは大バッハの明晰で断固とした人間の感性へのゆるぎない確信を聴いてしまう。
2=∞の中にそれは穏やかに聞くものの肌を粟立てる。
たとえば『愛』という文字の背後にはそれを捉えている視覚をもつ個々の人間の経験や文化の集約があり、『愛』という言葉のその集約された感性を伝え、共鳴させるために演劇は役者の声、マイム、音楽、物語さまざまな要素で提示する。
音楽自体もまた聴覚に対し、ある瞬間は絵画的にある瞬間は体験的にあるいは、もっと本能的で原始的な感情に共鳴させる。
理解するということは『理解』という言葉によって掬い上げている成果の多くをその指の間から零しているのではないか。
『理解するけれど、嫌いだ』という評価はその人の感性が最終的に知的な作業の埒外にあることを示している。
表現力に限界があるね。うまくいえない。

ヴァンサン・ダンディ/ピアノ五重奏曲ト短調op.81

第1楽章 アッセ・アニメ 
第2楽章 アッセ・アニメ
第3楽章 レント・エ・エクスプレッシフ
第4楽章 モデレメンテ アニメ

第1楽章をYouTubで

D'indy: Piano Quintet Op.81

D'indy: Piano Quintet Op.81

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Marco Polo
  • 発売日: 1995/10/24
  • メディア: CD


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