音楽が考えさせてくれること。 [音楽]
J.S.バッハ/ゴールドベルク変奏曲 BWV988 弦楽トリオによる
BWV988はすべての和声を3つの弦楽に委ねている。
ハープシコードでつくられた音楽であったなら、編曲の発想はあってもおかしくはない。
実際にバッハは他の作曲家の作品も含めて編曲にも稀類ない才能を発揮していた。
以前弦楽のアンサンブルで聴いたことがある。
そう思ってYouTubeを探したが、ボクの聴いたのと同じかどうかは知らぬが、イメージしたものが聴けた。
その演奏は現代にあって飽和した音響の中から生み出されたように思うけれど、その音色は限りなくバロックである。
現代のフォルテピアノで聴き慣れた音楽はクラシックという名でまとめられた伝統音楽にもう一度姿を変える。
アリアの美しさはいつもの密度の濃い硬質の音塊から届くものでなく、ヴァイオリンの弓に張られたヘアが触れる弦の細微の音色が束になる。
その一様でない音塊は縦の深みではなく、空間に横に広がってゆく。
ボクの耳はその一部分しか捉えられない中途半端なものだけれど、それでも引き出されてくる音楽は華やかである。
でも、その演奏は以前聴いた時に覚えた楽器が多くなるほど、薄くなってくるような印象は払拭してはくれなかった。
それとは異なる、ここで紹介した演奏は未だに作曲された時代の様式の中に作品の価値を見出そうとする人々にはどう聞こえるだろうか。
ハープシコードのためのこの楽曲をピアノで弾くことには苦々しくも妥協してくれはしても、弦楽合奏にまで許容の範囲を広げてくれるものかいささか疑問も持つ。
それでも、これは、この演奏は素晴らしい。
3つの楽器でグレン・グールドの霊感に寄り添うように解け合い、束ねあわされる和声。
彼らのアプローチはバロックの音色を越えて響く。
今井信子のヴィオラは燻された高音にストイックな陰りを加え、音楽の規則的なフォーマットを闊達に操るマイスキーのチェロ(彼の無伴奏よりいい。)の上をシュロモ・ミンツのヴァイオリンのような甘美な響きに、数滴の哀切を載せるジュリアン・ラクリンの音色が一期一会の精妙を聴かせる。
一瞬、シェーンベルクの作品を聴くときのヴァイオリンとヴィオラとチェロの僅かな距離のもつもどかしいような『かなしみ』を思い出させる。
アリアの孤独、ジーグの解けた心、ボクがグールドの後年の演奏に感じた微細から広さを感じた、作品そのものを超えたバッハの形をもう一度体感したような気持ちにさせた。
立て続けに3度ばかり通して聴いたが、その印象は変わらない。
今、4度目の最後のアリアがヴァイオリンによって歌い出され始めた。
この演奏はグレン・グールドを偲んで捧げられている。
Goldberg Variations - Arranged for String Trio
- アーティスト: Johann Sebastian Bach
- 出版社/メーカー: Deutsche Grammophon
- 発売日: 2007/04/10
- メディア: CD