Blogの中の猫たち-188 [Blogの中の猫]
野生の趣
復帰二匹目の猫。
この子の主も今はブログから遠ざかっているのかもしれない。
ボクの素描には「みかんとはちみつ」というタイトルが付いている。
彼が(オスだとして)「みかんか」なのか「はちみつ」なのか、果たして名前なのかもわからない。
でも、たとえ欠伸であっても、猫が口を開けるとき、どんな猫君猫ちゃんでもゴジラの鳴き声が似合うほど全身に野生のオーラが溢れる。
数瞬でそれは飼主のよく知る愛らしい猫ちゃんの顔に戻るけれど、鋭い犬歯は彼らがまとっているものを垣間見せる。
日の当たるいい陽気の中でうとうとしながらも、自分の方に向けられたカメラのレンズに向かって一声発したのに違いない。
「あっちいって!」
昼寝の邪魔したのかな………
音楽は アレッサンドロ・マルチェッロのニ短調のオーボエ協奏曲第2楽章をバッハが左手だけで弾けるようにチェンバロのために編曲したもの。細かい装飾音を加え、片手だけのためにメロディーラインは1オクターブ下に移しています。力加減と繊細な歌心がまとまらないとせっかくの歌が流れないね。
演奏はグレン・グールド
誤解を恐れずに書くと、バッハの平均律やその他の組み物の楽曲はそれぞれ練習曲として彼自身の持っているリリシズムを枠の中に収めたうえで書かれていて、ボクはその巧緻と繊細と大胆の織り成す音楽のスケールに黙り込む。
半面、彼の音楽には当然感情が飛翔するものが多くあり、宗教的色彩を帯びるものにその多くが見られるのだけれど、小品には等身大のバッハが覗く。
この音楽はマルチェッロの音楽を編曲したものであるには違いがないが、その静謐と平穏がバッハが持っている資質に共鳴したのだと思う。
グールドはマルチェッロを弾いているのではなく、バッハを弾いているのだから。