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ちょっと引くけどこれが我が娘 [One's Boyhood story]

変わり者の我が娘(次女)はこの夏休み美術部と漫画部を掛け持ちで毎日やれ「漫画甲子園だ」「課題提出だ」と忙し楽しい日々を過ごしていたようだけど、これが少し変わっていて、『ゴヤ』が好きなのである。
それも黒の絵。
大体ロココ期からバロック初期の絵なんて高校1年生(ホントは中学2,3年で興味を持つものではない。
『ボルドーのミルク売り娘』の目が気になってボクと話をしていたとき、『砂に埋もれた犬』と『サトゥールヌス』の図録を見せてこの画家の特徴的な目について話しているときに完全に魅了されたようだ。
プラド美術館へ行きたいというのだけれど、とてもじゃないから、車を飛ばして3時間。
徳島鳴門の大塚国際美術館で複製を見ることで勘弁してもらった。
朝6時に出発し、9時過ぎについてシャトルバスで美術館へ。

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この美術館には本物はない。
全て複製画であるが、それだけに膨大な量の絵画が原寸大で物理的に迫ってくる。
世界中の美術館や礼拝堂、教会、古代から現代までの作品がほとんど網羅されている。
複製であり、ライティングをどう工夫しても光の当たり方が平面的になるのは致し方ないが、高校一年の少女を駆り立てるだけのエネルギーは十分である。

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彼女はただ一点、図録や図版のサイズでは満足できなくなってひたすら原寸で見たいといっていた『サトゥールヌス』を見るという動機だけで朝5時に起き出した。
行き道にずっとかけ続けた彼女の好みの音楽に閉口しつつ、聴いていると何となくわかりかけたものがあったりしてちょっと興味も持ったが、正直駐車場に着いたときはホッとした。
この美術館は大塚製薬のオーナーが創設したみたいで、公園の中の山の斜面を利用して作ってあり、建物のある場所からいうと地下4階が道路に面した1階部分になり、美術館の展示自体は地下3階から始まっている。
とてもじゃないが1日では回れない。
地下3階のエントランスからはシスティナ礼拝堂の内部を完全にコピーしていて壮観だった。
そういう環境展示はスクロヴェール礼拝堂、聖マルタン聖堂、聖テオドール聖堂とか力が入っていて、細部のリアリティに凝りに凝っている。
ゴヤの家は地下1階。近代-バロックの中にあった。
ゴヤはバロックの扱いになっている。
彼の美術史に於ける位置としてはロココの終わりからバロックの始まりにかけていわば創始的画家であると思っているので、これは自分なりには適切な展示位置だと思う。
で、わが娘ッ子は朝の9時30分から11時45分まで黒の絵の展示ブースに長時間いては他の展示を周りまた戻るというやり方でルネッサンスから近代までを観てまわった。

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『我が子を喰らうサトゥールヌス』についてはもともと興味があったのだけど、『砂に埋もれた犬』についてはボクが見せた図録が小さかったのであまりピンとは来なかったようだが、原画サイズを観てかなり考えが変わったようだ。
でもなあ、ネットの原画複製サイトで『サトゥールヌス』が19,800円で買えると知って、買いたいと熱望されても、奥さんがひっくり返るだろうね。いやさ、金額じゃなくて絵柄だよ。
こりゃあ部屋に飾って毎日眺める絵じゃないんだからねえ。
味わいつつ怖れる目。歓喜と怯えがその黒目の虚ろの中に交差する。
我が子の腕は深々と口腔深くに入り、そこに自分の『喰う』という意思と反目する拒絶がせめぎ合う。
巨人は力の象徴であり、その万武不倒の巨体がこわばって竦んでいる。
洞窟の入り口には贖罪の日が射し込み、肉塊となった我が子とその胴を握りしめた骨張った両手を照らしている。
魅入られる絵だけれど、全てを受け容れてはいけない絵でもある。
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我が娘ッ子はどの辺で理解しているか。
彼女は決してグロテスクな外見に惹かれているのではない。
ゴッホの糸杉とベックリンの糸杉のタッチの違いがまるで正反対の雰囲気を持っているのも感じ、ゴッホの命の方を好む。
表現者としてのボキャブラリィはまだ乏しいから、まず顕れる影響は絵画だろうなあ。
と、いらぬ心配をしつつ、『犬飼いたい。猫飼いたい』と連呼しつつ必要なときしか口をきかない猫的少女は、絵を観る力を身に付けつつも、漫画家に憧れている高校生活の夏休みを過ごしている。

ちょっとお口直し

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レストランから出た1階の庭園。

B3のミュージアムショップにはやはり黒の絵の絵はがきなどは売ってなく、娘は落胆していたが、大塚のボンカレーを売っていたのには笑ってしまった。

さすが!大塚製薬。


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One's Boyhood story-34(24)空飛ぶCD [One's Boyhood story]

[夜] これは、このシリーズでボクの野性のような子供時代とその意外にも平均的なわが子達の思い出を綴った記事でした。ソネブロの2007年のリニューアルの大惨事に移し損なった記事の残りです。


久しぶりでちょっと昔買ったCDを取り出して聴こうと思い、シューベルトのいくつかのソナタの入ったブレンデルのCDを車に持ち込んだ。
ところが凄いエラーで音がとぎれ、全く聴けない。
「ありゃ?」っていう感じでプレーヤーから取り出してみて驚いた鏡面側がギザギザに傷ついているではないか。
「何だ、これは!」…と瞬間的に沸騰しそうになって、はた…と思いだした。
それは息子と娘の幼稚園時代の仕業であった。
ボクは当時、町の教職員住宅がある近くに住んでおり、子供達は良くこの駐車場で遊んだのだが、その駐車場の前に近くの幼稚園(ボクの子供が通っていたのとは違うけれど)がよく使用するいも畑があって、その中に入って紙のお皿で作ったフリスビーを飛ばしていたことがあった。
市販のプラスティックは危険なので、ボクが紙のお皿を二つテープで重ね、その一方を縁を少し残して円形に切り取って作った非常に安全な使い捨てフリスビーだった。
子供達は熱心に遊んでいたが、何かの拍子に壊れたのだろうね。
ボクは仕事で出かけていたので替わりを作ってあげられなかった。
そこで息子達はボクの部屋に入り、色々書棚を物色し、CDラックからCDを取り出したのだった。
銀色に光る円形の板はキラキラと飛んでゆきそうで、彼らはワクワクしてケースから取り出したCD12-3枚を抱えて、表に飛び出していったのだという。
面白かったんだろうね。
食事の時に遅く帰ってきたボクに向かって「パパのUFOがきれいに飛んだよ」とキラキラして遊びに憑かれた子供の目つきでボクにしきりに話しかけてきた。
何のことだか分からず、その時はいい加減に返事していたが、二階に上がって驚いた。
フロアにCDのケースが散乱し、アバドのマーラーやベートーヴェンの弦楽四重奏曲、マイルス・デイビスやミケランジェリのピアノやサザンのCDの中身が抜かれていた。
4.5回深呼吸して階下におり、まだ、スパゲッティをパクついている子供達に聴いた。
「パパのUFOはどこへ行ったの?」
声を揃えて
「お芋の畑をとんでッた。」「キレーかった。」「またやりたい」
ボクはその晩、懐中電灯を持ち、いも畑でCDを回収した。

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棄てるに忍びずそのCDは今も傷だらけのまま、ボクのCDラックに残っていたのでした。
普段はDBXノイズリダクションのメタル・テープで聴くものだからすっかり忘れていた。
ちょっと力が抜けたけれど、ボクの子供達の数少ない爆発の一つだった。
彼らには金と銀のマジックで絵を描いた紙製のフリスビーを4.5枚作って与え、その後ボクの部屋のCDは空を飛ぶこともなく、彼らは間もなくその遊びに飽き、新しいどきどきする遊びを探しに飛びだしてゆくようになった。

痛いけれど懐かしい想い出です。[夜] 

 

 

 

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One's Boyhood Story-34(23) [One's Boyhood story]

[夜] 思い出のかめ

夏の祭のバザー用に、娘達のぬいぐるみを吟味していた。
次女はちびっこいけど中学2年。長女は気は優しくて力持ちの高校2年。長男は県外で学生生活。
娘達が集めたぬいぐるみが衣装ケースに何箱かある。
昨年はまだいるんだと言い張った次女も、今年は『もういらない』だって。
成長かぁ?これ。
でも、気に入ったのはやっぱり遊ばなくても持っておきたいんだね。別にとっておくらしい。
引っかき回している箱の中から懐かしいぬいぐるみが出てきた。

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まだ、長女が幼稚園に入る前、兄の通う幼稚園バスを自分も行くんだと決然とした眼差しで見送っていた頃。
この亀クンは、彼女のお気に入りだった。
確かボクが100円のクレーンゲームか何かでとってきたヤツだったけど、小さい頃から動物好きがちょっと徹底していた彼女は名前こそ付けず、ただの『あたしのカメ』だったけれど、いつも一緒だった。
ナップサックか何かの口を締めるための水色の紐を首輪にして紐を付け、彼女は妻の買い物にそのカメを連れて行った。
家の近くの量販店へ買い物に行くとき、車から彼女はこのカメを抱いて降り、スーパーのポリッシャーがよくかかったツルツルのフロアをそのカメをすいすいと引きずって妻の後をついて歩いた。腹の部分ももこもこのフェルトだったのでカメはまるで泳いでいるようにフロアをすいすいと滑るように泳いだ。
その姿は当時かなり有名になったらしく、入り口近くの花屋のおばさんやレジのお姉さんに娘は名前まで覚えられていた。
どこの子供もやるんだろうけど、妻が買い物をして気をとられていると、ちっちゃな指で商品のサランラップにぷすぷすと穴を開け、夕食のメニューを豪華にしてくれた。
ずいぶんと汚れて泥だらけだった印象があったけれど、どうやら妻が引越の時にきれいに洗ったらしい。
ちょっと縮んでいて、お腹の汚れはさすがに少し残っているけれど、当時の娘の仕草まで鮮やかに思い出させてくれた。

『これ、出していいか?』
いらないと言ったポケモンの山のようなぬいぐるみを袋に詰めながらボクは振り返って娘に聞いた。
高2の娘は即座に言った。
「だめ!」

 このシリーズは自分や子供達の小さな頃の思い出を飾らずに書き出したものだけど、一時、ソネブロのアクシデントで他のブログに分散したりして今のこのブログにあげたものは34でなくて23番目になるね。11の物語が今休止状態のブログの方にあるということになる。

そのうちリメイクしようと思っている。

 

 

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危険って何だろう… [One's Boyhood story]

フィールド・アスレチックはなかった。

でも、丸太は自分の家の前の製材所に山ほどあった。
それは、あの頃のボクにとっては広大だった製材所の中にうずたかく積まれていて、延べ板に切断されて乾燥させている木板は『井の字』に組まれて3メートルほどの高さに積み上げられていた。
幼稚園から帰ると、ボクやボクの家の向こう三軒ほどの小さな家の子供達は、その絶好のフィールドが遊び場だった。

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化石採りと発破(はっぱ) [One's Boyhood story]

発破(はっぱ)とは要するにダイナマイトによる爆破である。


中学1年の秋、ボクと生物部と称したうろんなクラブ(一応学校の正式なクラブではあった)の仲間達は、山を2つ越した町から通っていた当時の科学を教えていた担任の先生の指導を受け、その町にある鷹ノ巣山の大きな石切場(鷹巣石灰とか呼ばれていた)に化石を採りに行った。
『生物部』というと真面目そうだが理科室で生物担当の「フランケン」(背の高い死人のように色が白い、つまりフランケンシュタインの怪物ような男の先生のあだ名)の目を盗み、解剖後のカエルの脚や飼育していた無毒のサソリをヒーターで焙って醤油を付けて食ったりしていた。
(後に東大に進学したI部長は平気で芋虫でも食える男だった。後にボクは東京で中野ブロードウェイにあったげてもの専門の店でシマヘビを食っている彼を発見したことがある。)
思いっきり馬鹿なことをやって、話の種は尽きないが、ボクらが学校から一度も日常生活で厳しい処分を受けなかったのは、先生方の評判だけはは良かったからではないかと思う。
つまり、サソリは食ってもタバコや酒はやらなかったし、イタズラはしたが、爆笑で終わる類のものがほとんどであったためだろう。
ボクらは無遅刻無欠席成績優秀なアウトサイダーであった。
例えば手製で原付バイクのエンジンを使って四輪ゴーカートを作り、ブレーキ部分の作りが甘く、試運転でレンコンの取り入れを行っている沼に飛び込んだり、生物の解剖のカエルの標本をウシガエル(食用蛙)でやりたくて夜中に水田に入り、動きがとれなくなって全員明け方にお百姓さんに救出されたり、枚挙に暇がない。
それでも、ボクらは学校では地道だった。
で、その日は山2つを朝早くから自転車で走破し、5人の仲間は先生の
待つ鷹ノ巣山のすり鉢状の巨大な石灰岩採掘場に、目を見張り先生の解説を受けながらあっちこっちで一心不乱に石をたたき割っては、フズリナや貝の化石を見つけて歓声を上げていた。
先生が帰られてからもボク達は許可を受けて採取を続けたのだが、あんまり夢中になっていて、サイレンの音に気づかず、偶然昼飯のために採石場の入り口近くの小屋の方にふらふら雑談しながら歩いていた。
「はっぱ2分前」「待避」とかいうアナウンスがあり、ヘルメットを付けて作業服を着たおじさん達がどこからともなくバラバラと湧いて出て、一目散に小屋の方をめがけて走っていた。
ボク達は何のことやらわからず、その光景を眺めながら、おじさん達が真剣に走ってゆく方向に何となく不安になって小走りになりかけたとき、あちこちでドカン・ドカンと耳がおかしくなるくらいの轟音が響いた。
「危ないぞー」というおじさん達のあまり必死とは感じられないぬるい警告がきこえたが、ふと見上げた空に豆粒ほどの黒い物体がいくつも浮かんでいてソレがこっちに向かって飛んで来るものだとわかった。
小石だと思った。
数瞬の内にそれは大きな石だと思えた。
そしてそれらがボク達の頭上や足許に落下する段階では、『逃げなければ命がない』というレベルの大きさの岩になった。
ボク達は必死に逃げ、小屋に飛び込んだ者、逃げ遅れて、ショベルカーの後に隠れた者、様々だった。
飛び込んだ瞬間小屋の屋根が震えた。
丈夫に出来ているらしい梁は鉄骨で、中にいる大人達は慣れた所作でお茶を飲んでいた。
マンガみたいな図だった。
もしもボク達誰かに当たっていたら、先生も現場監督さんも大変なことになったのではないか。
昔は緩かった。
不思議とそういうときは何も起こらないものです。


帰り道みんな疲れ果て、山二つ越して帰る自転車は重たく、ひいひい、いいながらペダルを踏んで帰る途中、友達が我慢できなくて山道を左右に切り開いた切り通しの側で立ちションしてふと、前を見ると、そこには露出して間もない三角貝の化石の塊が土の間から顔を出していた。
当時の地方新聞は立ちションとは書いてなかったけれど、ボク達はその他大勢で新聞に小さく載った。


トムソーヤの小屋 [One's Boyhood story]

裏山の傾斜に斜めに生えた樫木があった。
幹から三つ又に分かれた太い枝の上に板を敷くと子供が5人と犬が一匹いられるくらいのスペースがあった。
周りは背の低い竹の林で、ボクは竹に花が咲くのをその場所で知った。

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贈り物のリクエスト [One's Boyhood story]

クリスマスが近づいてくると思い出すことがある。
ボクの一番下の娘、今は小学6年生だが、当事、長男と姉が通っていた幼稚園に入る前だったと思う。
我が家ではサンタに自分がイブに欲しいものを手紙に書いて玄関に貼り付けておくと、サンタが前日それをとって行くのだ。
朝起きて手紙がないとそれはサンタに願いが届いたという証拠である。(まるで宅配の予約みたいだね。)
長男と姉は欲しいものを手紙に書き、それをセロテープで玄関のドアに貼り付ける。
彼らが寝てしまってから、妻が回収し、今年は何が欲しいのかを把握するのだ。
あまりに早すぎて欲しいものが変わっても、1週間前までなら大丈夫とサンタが言っていたそうで、予定変更も時々あった。
しかし、難物は末の「なりきりナル」であった。
彼女は字が書けない。
欲しいものを他の人に話すと願いが叶わない等と言うことを誰かに吹き込まれたか、テレビで見たか、欲しいものを頑として言わず、お姉ちゃんと同じメモ用紙にサンタとトナカイらしき絵入りで△や●や形の判別できない象形文字を連ね、手紙を書くのだ。
それが、読めない。
全く何を書いているのやらサッパリわからん。
本人はちゃんと読めるらしく、自分に読めるものはサンタにもきっと読めると、もの凄く自信に満ちた表情できっぱりと言い切る。
さあ、それから大事である。
妻はそれとなく聞き出そうとし、姉を使って妹から情報を得ようとする。
長男もそれとなく見え見えなんだけど、聞いてたりする。
近所の来年一緒に幼稚園という子供のお母さんから、果てはじいさんばあさんまで総動員で調べ上げる。
ようやく欲しいものを突き止め、おもちゃ屋に予約しようと構えていたら翌朝、新しい手紙が張り出されていたりするともう、パニックである。
小学6年になって頭が先に育ってしまった末娘は、うすうすサンタがボクであることに気づいたらしいが、どうも確信がないらしく、それとなく探りを入れてくるのがおかしい。
ボクの仕事場のロッカーには彼女がサンタのために一生懸命編んだ四角形のとても首に巻けるような長さではない、まるで人形用のマフラーがしまってある。
その袋には、丸や三角でないしっかりした文字でこう書いてある。「サンタさんありがとう」


捨てられなくてね。
(クリスマスが近づくと職場の受付に飾ることにしている。)


感傷 [One's Boyhood story]

クリスマスのシーズンが近づいてくるとボクの近所の目抜き通りに、イルミネーションのカラフルな光が溢れる。
もともと川端堀を潰して掘りに添って植えられていた桜やクヌギを残しているのだが、その下は今は人工の堀が流れ、歩道が通っている。そこにイルミネーションが煌めく。これが結構綺麗なのだが、確かクリスマスを過ぎても飾っていて、暮れはずっとつきっぱなしなんだね。景気づけだろうけど。ジョギングには明るくていいけれど、なんか走ったり、歩いたりするのが恥ずかしいくらい明るい。





今も、多分この人工の堀の下には港まで流れ込む堀川の水が港の潮の干満の影響を受けつつ、流れているのだろうと思いたい。
ボクの町は、堀川端の風景を残し、そこを綺麗に保つよりも、安易な護岸改造を選んだ。
そこは夏になれば近くの小学生が手製のセミ取り用の網を持って行き来し、ギンヤンマを追いかけてちょっと汚れた川の土手に通ったコンクリートの通路で待ち伏せした。自分の親指よりもでかい「ヤマナメクジ」を生まれて初めてそこで見つけ、一体どれくらい塩があればこの怪物が溶けるのかと、近所の悪ガキ達と知恵を絞った。
堀に沿った木々にはたくさんの蝶や玉虫やカナブンが金や緑の色を炸裂させていた。
暇つぶしの近所のおじさんは、満潮になり逆流した塩水で上がった汽水の水に釣り糸を垂らし、ボラやスミヒキを釣っていた。
小学6年生のとき、それら全ての風景は大きな鉄製の土管の中に埋まり、通りにいくつかかかっていた御影石の小さな橋はもうどこにもない。
子供達は市販の大きな網で何を掬っていいのかわからないまま振り回して走っている。セミを捕るのにどんな網がいいのか、危険な遊びをしやしないかと見張りつつ話しに夢中の母親達は、選ぶことも作ることも出来ず、セミはただの虫に格下げされ、でかい蝿のように嫌われる。
ボクの町はそれを選んだ。
野ネズミが走り、それを捕食するアオダイショウが笹の中で鎌首を持ち上げる。
ボクラはそれが毒のない蛇で、ネズミを面獲る有益な爬虫類であることを何となく知っていた。
モンシロチョウとスジグロシロチョウの違いもそこで見て知った。
ただ、今でも春になれば、堀沿いにあって僅かに残された桜の巨木がうす桃色の花吹雪を舞わせる。
「きれい!」と感動する老人達の横を、既に季節感ごと喪失した子供達は無感動に学校へ急ぐ。
PTAが買ってきたスミレやヴィオラの花の世話をするために。
派手で美しいイルミネーションは民家も飾る。

ガレージから玄関までこれ見よがしにクリスマス気分を演出する。
多分、この年の暮れのイベントへの協力なのだろうと思いたい。
でも、子供達には数年前にそのイルミネーションにみせた大いなる興奮はもうない。
人工の花は夜しか見えず、一度見てしまえば、受け身の魅力は続かず、大人にせがんで外に出ようとする子供はもういない。
今は「きれいね」といって通り過ぎる大人達が夕食後のウォーキングに精を出しながら、歩いてゆくだけだ。
夜空にはうす緑色に反射する鏡のように冴え冴えとした美しい月が出ている。
イルミネーションの美しさは、その月を仰ぐ大人の視線すら奪っているかのようだ。
ボクの街は何をやりたかったのだろう。


サヨナラといったんだ。きっと… [One's Boyhood story]

ハムスターを飼い始めてから、ボクの娘達は今のところ犬を飼いたいという気持ちが少し薄れているような気がする。
正直ほっとしている。
ボクと犬のつながりは飼っていると言うよりも、一緒に育ってきた兄弟のようなものだったので、失ったときの喪失感はもう、表現しようがなかった。

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父が泳いだ夜 [One's Boyhood story]

「ひどい目にあったぞ」
父が11時頃帰宅し、釣道具を仕舞いながら母に言った。
ボクは起きて待っていて、夜釣りに行った彼が釣ってきた獲物を見るのを楽しみにしていた。
しかし、その夜の彼は堤防で釣をしていて誤って海に落ちたとのことで釣どころではなかったらしい。
夏とはいえ、ずぶ濡れであった。

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