近所のお宿『どうぶつすどまり』 [地方地域情報]
キルトとラッキョウの花 [地方地域情報]
ボクの住む街で冬の寒さをはっきり感じたのは11月12日だった。
それでも山々の木々は余程の高山でなくては紅葉の気配はない。
金曜日に四万十市方面に行く予定があって、その途中の入野というところにある砂浜美術館に行った。
去年も行ったが今年ほど寒くはなかった。
砂浜美術館という美術館が建ってるわけではなくて、展示物が戸外に設定されるイベント名である。
有名なのは夏のTシャツアート展だろうか。
大方入野の白い砂浜におびただしいオリジナルのプリントが施されたTシャツが浜風にはためき壮観です。
その砂浜美術館。
今の時期はキルト展というのがあり、趣味人が制作したキルトが美術館の壁ではなく、松林に大小等間隔で展示されています。
細い砂地の道の後ろには砂地に植えられたらっきょう畑が広がっており、11月初旬から薄紫色の花が満開でとてもきれいな(ハズ)なのです。
今年は残念ながら例年よりはるかに遅れて襲来した2つの台風のお陰で花期が不順でまばらな花が申し訳無さそうでした。
それに当日の風の寒さ!
早々に退散しました。
14・15・16日の3日間だけの展示で終わるのですが、日曜日はまだ穏やかな陽射しがあったとのことでした。
でも、キルトは綺麗でした。
小さいものも畳一畳ほどの寸法のものも作者の集中と根気と熱意が自分の定めたテーマに一直線で気持ちがいい。
そりゃそうだよね。筆でぼかすことはできない。色はすべて布やイトの緻密で根気がいる自力の作業の上に成り立っている。
ジジイには到底出来ないやね。
ただ、ただ寒さに肩に力を入れたまま見とれてきた。
来年はもう少し暖かいといいのだけれど。
協力金として中学生校以上の観覧者は300円必要。これはこの浜辺の重要な環境のひとつである松林保全のための基金に当てられる。
古民家レストラン [地方地域情報]
台風一過 行き着く暇もなくまたひとつ18号の後ろを追っかけてきているね。
先月の末
長女が帰郷した。
就活が一段落し、国土交通省に内定をもらったとのこと。
彼氏は薬草の研究で、本人は県職を狙っていたが、林野分野に野生動物とのかかわり合いありと、そのへんで初志貫徹しているようだ。
ちょっと眩しいね。
でも、あれだけはっきりモノ言う気の強い娘とよく付き合ってるもんだね。
彼氏にも大いに敬意を評したい。いや、ほんと。
帰郷に高知駅まで妻と迎えにゆき、高速に載る前に夕食を済ませることにした。
はじめてゆく場所だったが、妻は以前次女といったことがあったそうな。
『土佐水木』(とさみずき)という古民家を改造して離れ家をレストラン化している。
学芸高校のグラウンド側にあった。
妻が好みそうと言うよりはこりゃ、長女に合わせた趣味だね。
カメラの解像度が悪くて雰囲気しか伝わらんけれどご容赦。
ジジイは黒米のグラタンとノンアルコールビール。
妻はなんたらラザニア。
長女は釜飯風の土佐水木セット?よく覚えていないがまあ、写真のようなものだった。
ボクのは『黒米』という食材に惹かれて注文したんだけれど、完全に洋風でモッツァレラが効いていて、濃厚だった。
ビールが欲しかったのだけど、飲んだのは妻だけ。
注文取りに来た割烹着のおねいさんがちょっと不思議な雰囲気でした。
レジは離れ家のは入り口にあってレストランから一旦外に出る。
庭があって古民家の面影がよく残されているが、死ぬ気になったら『土塀を越えて食い逃げができそうだな』
などと不埒なことを考えながら、もちろん実行はしないけれど、おとなしく料金を支払った。
妻と娘がレジのショーケースを覗きこんで持ち帰りのスイーツを物色している間にボクはブリキの懐かしおもちゃ(非売品)を並べてある棚に見入っていた。
ごちそうさま。
追記 ちょっと感心したのはおしぼり。大きくて厚い。懐かしのおしぼりでした。漆喰と欄間の彫り物がなかなか風情をかもしてた。
ここのところ、マウスの調子が悪いのかあんぽんたんなマイクロソフトのMIEのせいで変換ができなくなり、しょうがなくGoogleのワープロを入れたのはいいけど、カーソルの動きが変になってコピペが面倒になった。
どないしょ。
近場の散策 [地方地域情報]
今年の梅雨はよくわからない。
いや、『今年も』というべきか。ゲリラ豪雨は常態化しつつあり、晴れた日の日差しはもう真夏のそれである。
紫陽花も見に行きたかったけど、あまり鮮やかな色ではなかった。
父の日には休めないため、1日前に父が暮らし始めた有料老人ホームにささやかなプレゼントを携え、妻と面会に行く。
日常生活をホームで完結させない、『外に出かける』ことをモットーとしているその施設は出不精であった父の別の面を引き出している。
ここまでやってくれるところはないだろうね。
父に合っているようで安心している。
帰り道に近くの道の駅の裏にある菖蒲園に立ち寄った。
ここでもあんまり花に勢いがない。
地元のテレビでやっていて寄ってゆこうという気になったのだけれど、写し方なんだねえ。
ボクのへたくそな腕でしかも粗末なカメラで撮ると現実がそのまま映る。
雨が降った直後に行けば鮮やかなのかもしれない。
これは拙宅のセッコク。
花期はもう過ぎたけれど、一鉢だけ残って咲いていた。
このピンボケは時期的に今が開花のキバナセッコクとセッコクの交配種。
どちらも20年位前にいただいたものが生き残っている。
キバナセッコクは絶滅危惧種で野生種を見ることはもうない。
以前は山奥の岩清水が滴っているような場所の高い木からぶら下がって咲いているのを見たことがあるけれど、乱獲でもう見られない。
このピンボケの花は花形はキバナセッコク。花の色はセッコク。香りがないところもキバナセッコク。葉がある茎に花が咲くところもキバナセッコクの特徴がある。野生の混合は難しいだろうからおそらく園芸種なんだろうね。
普通のセッコクと言っているけれど、こちらのほうも絶滅危惧種。
野生種は本当に珍しくなった。
夕方には甘い香りを放つ。日本を代表する着生ランだった。
同じ着生ランの風ランは園芸種は富貴蘭といって江戸の時代に火屋という籠に入れ、参勤交代の折にお殿様が乗ったかごに吊るされて一緒に江戸に往ったそうな。お国にはそれぞれ自慢の品種があっていろいろ昔から銘が付いたものがある。
飾る鉢もお庭焼きで豪華なものが多いね。
セッコクは別名竹ランといい、園芸種は長生蘭といって昔は薬草として使われた。長生蘭はお公家さんの趣味であり、京都を中心にたくさんの園芸種が今でも残っている。
庭の風ランが香る時期はまだ先のはずだけど、この異常気象では植物のほうも体内時計が狂ってきているらしい。いつ咲くかわからんね。
山越えのミュシャ展 [地方地域情報]
日曜日のこと
南海放送開局60周年記念とのことで10月から開催していたミュシャ展に連れて行けとせっつかれていて、ようやく時間を調整し、末っ子娘と山を越えて松山に行って来た。
期末の前に行けてホッとした。
途中の山々は中途半端に紅葉し、やはり、季節が何処かおかしいのではと思わせたり、一部分は実に鮮やかな赤と朱と紅の燃えるような饗宴があったりした。
上見て走ると危ないね。
途中三坂峠に入るところで、新しい道路ができていて、みんなはその道を通っていたらしいのだが、ボクのナビはそれができる少し前にバージョンを上げたのでその新しい道が分からず、往きはそのまま峠を越えた。
なな、なんと!峠はふつーのタイヤじゃ危ないか?と感じるほど雪が残っていて驚いてしまった。
県立愛媛美術館のある公園は運悪く、大産業祭とかが開催されていて、駐車スペースが丸でなく、お堀の周りをクルクル回るはめになった。
忙中閑 [地方地域情報]
久しぶりで叔母が帰郷した。
今回はパリで企画している原布(古い布地)の展示会用の資料集めと、母ともういつ会えるかわからないのでお互い相手が認知出来る間に会っておこうというのである。
途中でイギリスにいる娘のソニアと落ち合い揃っての帰郷である。
ソニアは変わり者のボクの次女と気が合うらしく、昨年も遍路をやりに我が家に立ち寄って、漫画家志望の次女となにやら英語と日本語のチャンポンで話していた。
フランスは飛び級なので中学1年の時に高校に編入し、高校に1年ほどいて大学に進んでいる。
日本語は土佐弁が少し、父のドイツ語と生まれた国のフランス語、仕事場のイギリスの英語と器用なものである。
ちっちゃな我が娘と並ぶとエレガントな女性だが、妙に幼いところがあっておかしい。
彼女は小さなころからうちの母が大好きで、というのも何かにつけてサンゴのネックレスとか可愛い小物をプレゼントされていたからなのだろうね。
田舎のじじばばのいるデイサービスへ母に面会に突然出かけるから、他のお年寄りが興味津々で取り巻いてました。
叔母はもう70を超えているはずだけど、精力的。
画家の旦那は留守番。
東京から用事を済ませて朝一番で高知龍馬空港へ。
そこから車に乗せて桂浜の方から海を観ながら予約していたホテルに向かった。
途中の海。
朝の海はまだ夏の日光を反射していて水平線のグラデーションが鮮やかです。
空と海の色がほぼ同じ色ですね。
夜は郷土料理を食べに出かけました。
カツオの塩たたきとカワハギの肝つきのお造りは美味しかったね。
行った店は漁師が経営していて漁師や釣師がよく食べるものがあったりする。
カワハギの肝を潰して醤油に混ぜ、それに刺身を付けて食べると美味しい。
二日目はあちこち海岸沿いを巡り、その日高知に。
市内の料理屋の親戚の従兄弟と夕食をするので送っていった。
昼食を軽く『ひろめ市場』というB級グルメの集積地に行った。
そこで食べた餃子が美味しかったらしく、ソニアはカウンター越しに餃子を焼いている青年に好奇心150%の早口で作り方を聞いているらしく、若者はフランス語と土佐弁の奇妙な混交に戸惑いつつ、餃子にかけるのは水ではなくてスープだとか身振り手振りで教えていた。
あまり熱心に集中してみている娘に呆れて連れに行った母親がまた帰ってこなくなった。
二人で観てるのである。
笑うしかない。
2日も休んだのは久しぶりだったけど、結構疲れが取れたね。
今年の風蘭 [地方地域情報]
毎年もう少し暑くなってから咲くのだけれど、今年はもう庭木の風蘭が蕾から開花し始めている。
銘品といわれるものは、残念ながら忙しくて手が入れられず、ほとんど枯らしてしまった。
小さな鉢植えはもともと木に着生するこの蘭の性質に合わないのだけれど、江戸時代の大名の趣味だったこの風蘭(趣味的には富貴蘭という)には鉢植えの歴史があるので、要は育てる方の無精のせいだと言うことははっきりしている。
だから手持ちの富貴蘭(銘が付いた風蘭)も普通の風蘭もところ構わず庭木に着生させた。
緑色の花を咲かせる『翡翠』という名の風蘭はある夏の夜ごっそり木から剥がされて盗まれた。
かつて高知県の室戸市で発見され、採種者はそのミドリ花の風蘭を売って家一軒建てたそうだ。
まあ、ね、剥がされるのも覚悟で付けたんだからしょうがないね。
だけど、今残っているものは剥がして行くのはなかなか難しいだろうね。
学名はNeofinetia falcata 日本原産の固有種だ。
裾(キョ)が長く、風雅な小さな花を沢山付ける。
開花して二日目あたりの夕暮れ頃からバニラ系の芳香を放つ。
窓を開けていると風にのって薫ってくる。
アングレカムは大きな花だけれど、その極小形だね。
夜の花だね。花蜜は蝶や蜂のためではなく、専ら小さな蛾のためのものだろうね。
甘い匂いに誘われて花弁に頭を突っ込むと、花粉が頭に付く。
蘭は花の中で最も進化した植物らしい。
日射しが弱く雨がちなので、赤い花を付ける種類がちょっとピンクがかっただけで咲き始めた。
もっと日焼けするほどの日光を浴びると花が紅く咲く。
風蘭は普通株分けで増やすのだけれど、花粉でも育つ。
庭木に付けたって何年待っても目なんかでるわけがないと思っていたら驚いたね。
槇の木のたった一枝だけに沢山の芽が吹いていた。
その枝だけは風蘭の増殖環境にぴったりの何かがあるんだろうね。
他の木、赤松やウバメガシの風蘭は、株で増えるけれど、種で増えたのはこれが初めて。
逆に言うとその木の本来の生命力が蘭菌の増殖を許すだけ衰えてきたともいえるのかも知れない。
まあ、何年持つかはわからないけれど、当分の間梅雨のうっとおしい夜に少しは風雅を添えてくれるだろう。
『鍋焼きラーメン』近所の名店? [地方地域情報]
『鍋焼きラーメン 』
ボクの街には田舎のご多分にもれず、町おこしの一環でいくつかの名物に復活したものがあって、その中では昔から馴染んできたものはこれかも知れない。
何しろ、フツーに食べていたものだから未だにラーメンというカテゴリーの食べ物ではないと、今でも思っている。
発祥に関しては諸説あるが、「谷口食堂」(店主:故谷口兵馬さん)というお店が最初であるといわれていて、このお店は戦後間もなく開業。ご主人が亡くなったのを機に、昭和55年頃に閉店。
しかし、かつて昼食時や夜間にはいつも満席で、「いまだにその味をよう忘れん」という熱狂的なファンがいたそうな。
ボクは子供の頃カゼを惹いたときなんかに店屋物で母がとってくれた鍋焼きうどんの変形だと思っているのだが、こだわりはそんなものではないらしい。
てな具合でなかなかうるさい。
最近この「谷口食堂」が東京だっけ、ラーメンの店が集まるところで開店するっていうことを聞いたけどあんまり関心がなかったのでその場所の名を失念した。
この「駅前食堂」というのはボクの家の近くの駅の前、ほぼ正面にある。
見ての通り小さいお店で中にはいるとレトロの雰囲気。
メニューの品数は少なく、鍋焼きラーメンの大・中・小とそれらにご飯が付くというでんぷん体質まっしぐらの目ニューしかないようだ。
店の表のポスター通りの内容で、鍋焼きラーメンの定義そのものである。
シンプルでちょっとしょっぱい。スープはあっさりしているけど、コクがある。
親地鶏のスープストックと+アルファ。
麺の上に乗っかった生卵を箸で崩してからおもむろに啜る。
スープの中に隠れているけれど、地鶏の堅めの肉がいくつか転がっていて、これが実に滋味深い。
何故かからいのにたくあんが添えられている。これもポイントらしい。
このからさは塩系だから血圧が上がりそうだけど、ご飯が欲しくなるのがよく判るね。
注文して品物がきたときに写せば良かったんだけど、食べてから写真を撮ることを思いついたので写真がない。
でも、ポスターの品物そのまんまだったね。
あんまり売り出しているので、地元で食べに行くのがちょっと恥ずかしい。
また、できたてはぐつぐついってて、オッそろしく熱いのでお急ぎの方には向かないね。
冷めるまで待ってられない江戸っ子は絶対舌を焼きそうだなあ。はは。
最後の写真はボクの末の娘の作品。町の名物のイメージキャラクターだそうな。学展で飾ってあった。
まあ、結構やるモンだと微笑ましく見せていただいた。
ドクター・フィッシュ [地方地域情報]
金比羅さんに出かけたとき、金陵醸造所の隣にフィッシュ・テラピーを発見。
興味津々で店にはいると、おねいさんがいて「いらっしゃい」と言った。
店には長方形の夜店で金魚すくいの屋台で見かけるような長方形容物大型があり、他に客はいなかった。
外は春の嵐のような猛烈な風が吹き、思いの外寒かったが、店の中はストーブがあり暖かかった。
ドクター・フィッシュはその小さなプールにいて敏捷に泳いでいる。
ドクター・フィッシュは学名を『ガラ・ルファ』といい、小型の鯉目鯉科の魚で、口が下向きになっていて川底の石に付いた藻か何かを擦り取って食べるような二ゴイタイプの魚である。
25度前後の暖かい温泉水に棲む。
生後2ヶ月から2年半くらいまでヒトの古くなった角質を食べる習性があり(これはそう言ってるだけで温泉に棲息する動植物は余なく、要は食い物がないからに他ならない)、この性質を利用し、アトピー性皮膚炎などの皮膚病の治療に効果があることが証明され、国によっては医療行為として保険が適用される。
ちょっと綺麗なおねいさんに「おやりになりますか?」と聞かれ、生来の好奇心で体験に及んだ。
靴下を脱ぎ、ズボンをまくり、ちょっとぬるめの温水の中に足を浸すと、ドクターは四方からわらわらとボクの足許に集まり、パコパコ、ポコポコと忙しく吸い付き、他に客がいないものだからボクの足は凄いことになってしまった。
古い角質の多い踵に多く集まり、馴れてきたら少し足を浮かして下さいという指示で足を動かすと、一瞬でかき消えるように逃げ去るが、すぐにもの凄い勢いで足の裏をつつき始める。
あっという間の10分でした。
足許がさっぱりしたところで、お隣の金陵醸造所の裏手の楠の大木を観にいった。
風情のある酒蔵跡を眺めながら、記念館と称し、切符をもぎる女性が待ちかまえる入口付近で腰掛け、携帯のカメラに入りきれない大木をしばし眺めた。
おまけは讃岐の一刀彫。見事でした。お店の方がうるさくなければいつまでも見ていたい。
ところで、GESTと称してボクのブログに大量のコマーシャルリンクを貼って行く困った方がいる。コメント欄を閉じなければ対応できないのかねえ。迷惑な話だね。依頼しているネット通販にもあまり良い印象は持てないんだけどね。こういうやり方は。削除できないものもあるんですね。どなたかいい対策知りません?
観劇 [地方地域情報]
ブログの記事にしたことはなかったけれど、今年はいい桟敷だったので畑違いだけど、書いておこうかと…
今年は6日の2日目午前の部には間に合わず、午後の部。
中村歌昇改め三代目中村又五郎襲名披露とその歌昇をついだ種太郎の襲名披露の後『義経浅本桜』の一幕に中村吉右衛門が出るので観にいったのでした。
旧金丸座は重要文化財で、シーズンにより文楽を始め歌舞伎や様々な技芸が行われますが、始まると撮影禁止なので中の部分はこれだけです。
口上の口ぶりは長谷川平蔵そのものでした。
出し物は午前の方が『一本刀土俵入り』の駒形茂兵衛だからちょっと疲れたのか午後の部は義経役で場が『川連法眼館』でほとんど動かない。この場は狐が主役だからまあ、一息ついているような感じでしたね。
昔ながらの木戸口をくぐり、風情のある芝居小屋でその適度な広さが支えている雰囲気が楽しいです。
芝居小屋だからトイレはもちろん外。
この金比羅歌舞伎は金刀比羅宮参詣の商店街とタイアップしていておみやげは讃岐うどんからお箸に至る。
芝居を見るなら慌てておみやげは買わない方がいいのです。
時間待ちの間商店街を散策。
もちろんうどんを食べたり、隠れパワースポットの酒造の酒蔵に入ったり、一番は全く個人的な興味でドクターフィッシュの洗礼を受けてみました。
そのお話はまた別の機会にしましょう。
家に帰ったのは午後9時近かったですね。
当日休みが合わなくて行けなかった奥さんはちょっとご機嫌斜めでありました。
済まぬ済まぬ。