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KM荘ウシガエル事件 [One's Boyhood story]




ボクが幼稚園児の頃過ごした家は、KM荘という庭園の美しい古風な割烹があった。
そこは今もあるが、車で通過するとき、遠目に見るだけだけれど、庭園にはもう手が入っていないようで、木々が生え放題のように見える。
ただ、それでもサクラのシーズンと秋の紅葉のシーズンは美しい山裾に立地したその庭園風景が際だって見える。
ボクはそのKM荘の仲居さん達が詰める部屋の下を流れる溝に入り込んで、よく陸棲の赤や黄色のきれいなカニを金夾みや割り箸を使ってバケツ一杯つかまえて家に持って帰った。
大きなバケツ半分ほども捕まえた蟹の多さに、思わず誉めた父だったが、夜中にあまりにがさごそとバケツの中で動き回るかにの音にねを上げた父が、溝に捨てに行くのを数日経ってまた捕まえるといったイタチごっこをやっていた。
今で言うキャッチ・アンド・リリースだな。ちょっと違うか。
溝と言っても汚いという印象はなく、山からのわき水が流れてくるため、結構きれいだった印象があった。
その溝の行き止まりに大きな(子供にとっては)丸い井戸風の溜水があり、そこにKM荘の排水が流れ込んでいた。
石垣が組んであるその溜水井戸には、トノサマガエルやそれを狙っているアオダイショウがいて、原始的な幼稚園児の心をしっかり捉えて放さなかった。
その井戸にいつの頃からかウシガエル(食用蛙)が棲み付き、夜間もの凄い声でなくものだから、当然近所の原始の幼稚園児の話題の中心になっていた。
一つ年上の(今は薬剤師になっている)女の子とボクともう一人同い年の男の子三人が、アーだ、コーダと小さな脳みそを集めていろんな計画を立てた。
まず、バッタを捕まえ、これに釣り針をつけてつり上げる計画を立て、釣り糸を井戸に垂らした。
しかし、食いついてくるのはトノサマガエルばかりで肝心のウシガエルは悠然と、でかい目玉を水面に突き出したまま、水中で両手両足を広げて静止していて、頭に来た女の子が棒きれで突っつこうとして身を乗り出し、危なく井戸に落ちるところだった。
僕らは釣り針でウシガエルの体を引っかけようとしてみたり、動かない蛙の体に糸をくるくると巻き付けて縛ろうとしたり、いろんな工夫をしたが、はかばかしい成果はなく、悔し紛れに放り込んだ小石が頭に当たっているのにちょっと目をつむっただけで、ポコンという音を立てて当たった小石を追いかけて水に潜った後、もう一度うかんできてバカにしたように「げえ」と啼いた。
次に僕らは水をバケツでかい出して中に入って捕まえるという計画を立てたが、湧き水があるため、子供がいくらバケツに綱をつけて投げ入れて汲み出したところで水量が減るはずもなかった。
そんなときボクの頭に浮かんだのはイソップか何かの童話の話しだった。
入り口の狭いビンの中の食べ物をとるために石を投げ込んで水かさを上げ、見事食べ物にありついた利口なカラスの話しだった。(あんまり詳しく覚えていない。)
ボクは真剣にその話しを二人にし、彼らの妹や弟も動員してバケツに畑のそばの崖から土や石を詰め込んでは、子供の熱心さで井戸の中に投げ入れた。
何日か続けたような記憶がある。
何日かして僕らが飽きてしまった頃、
大雨が降り、その結果、ある日突然井戸の水は溢れ、KM荘の勝手口に逆流した。
これにはさすがに子供のやることだからと勘弁できないものがあったと思うのだが、女将さんは平謝りするボクの母に文句一つ言わずに「あまり叱らないで下さいね。」といった。
それなのにボクは思いっきり叱られた記憶が今でも鮮やかに蘇る。
仲間の二人も同じだったようで、僕らは女将さんがホントなのか、母達がホントなのか製材所の丸太の上に腰掛けて真剣に話し合った。
大人って…大人ってワカラナイと三人は心密かに憤っていた。
崩れかかった石垣ともう水の通っていない溝が今もあった。
そして、ボク達が半分埋めてしまった井戸は蓋がされていて中を覗くこともできないけれど、年上の女のこが住んでいた家はもう廃屋になっていて、セイタカアワダチソウの群落が灰色の板壁の内らと外に黄色い花を揺らしている。
こんなに狭かったのかと思うボク達の遊び場だった製材所の敷地は駐車場にかわり、今は見る影もない。
車に帰ろうと振り返ったボクの右の靴の先に、ふと見ると丸々と太った季節はずれのアマガエルがのっかていた。






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