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豊かなる昭和 [One's Boyhood story]

日々の暮らしに囚われて、振り返ることといったら、子供の頃の思い出をブログを書きながら確認するくらいだ。
豊かであったかどうか今となってはわからないけれど、ボクにとって「昭和」という年代は生まれてから独り立ちするまでの間を
過ごした思い出多き時代だった。
上京している時はさほど感じなかったが、たまに田舎に帰ると時の流れが3倍くらい遅くなったような気がしたものだ。

「上り列車待ち合わせのため15分間停車いたします。」
通学のディーゼル機関車のアナウンスは平気で「Times is Money」を無視した。
僕らは待ち時間に閉口し、汽車から降り、ベンチに座り、だべり、走り回り、そしてパンを買いにキオスクへ行き、たまに鞄だけ
が先に学校に着いた。
通学路の道路の真ん中にはボクの近所と同じように、そこら辺で飼われている犬が、犬らしく寝そべり、エサをくれるでもない若
者が大挙して通行してもまるで気にとめた様子もなく、でれっと寝そべっていた。
ギターを弾いて歌を歌うと不良と呼ばれ、僕らはパン屋さんの倉庫を借りて練習し、自分たちで券を売り、印税がかからないよう
に99円でコンサートを開いた。
行ったこともない戦争に対して青い、憤りを向け、反戦の歌を歌い、地域差別を歌にした。
通学の途中で恋をし、通学の途中で失恋し、学校の違う友達と目の前に座った女の子を何分で笑わせるか、即興の漫才を繰り返し
た。
全てが凝縮し、拡散し、一瞬で昇華する毎日だった。
タバコを吸う友達を非難する一方で、隠れてバイトをして友達同士で外泊してはコカコーラにウイスキーを混ぜて飲んでは、夜更
けの商店街を裸足で走った。
人生で一番本を読み、人生で一番自由だった。
尾崎豊を聴いたとき、ボクはもう彼の世界を抜けていて、青臭い詩に昔の自分の未熟な感性を思い出して、言葉にできないものを
言葉にしようとする彼の試みに同感しながら嫌悪した。
そんな僕らが暮らした昭和はそれでもゆっくりした時が流れていて、今、僕が思い出せる数知れない思い出を長い時間をかけて育
ててきた。
戦争もなく、捨てられもせず、生きてきたという確固たる形も残っていないけれど、セピア色になりつつある遙か昔の少年時代の
町並みや風景や人の往き来が、今も鮮やかに浮かんでくる。
思い出したくない昔ではない。もう一度質素だったけれど、自然の一部でいられた昭和を何処かで追体験したい。
心が豊かだった昭和。
ボクの子供たちにはボクらほどの思い出が作れているのだろうか。
クラブ活動が終わったあと、遅くまで塾に通っている長女が珍しく走って帰ってきた。
「ただいま」をいう前に「ねえ、月が凄くきれいだよ。」と言った。
冴え冴えとした秋の月がことのほか青白く光り、「きれいだ」と思いつつも、誰も共感しないだろうと黙っていたボクは、その言
葉に少し報われたような気持ちになった。
どんな時代にも変わらない感性が彼女の中にも確実に育ってくれている。
思い出は彼女の生活の中にも様々な綾を作って織り込まれているに違いない。
豊かなる次の世代に向けて。



セブンアンドワイ_11月特集_豊かなる昭和A







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