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感傷 [One's Boyhood story]

クリスマスのシーズンが近づいてくるとボクの近所の目抜き通りに、イルミネーションのカラフルな光が溢れる。
もともと川端堀を潰して掘りに添って植えられていた桜やクヌギを残しているのだが、その下は今は人工の堀が流れ、歩道が通っている。そこにイルミネーションが煌めく。これが結構綺麗なのだが、確かクリスマスを過ぎても飾っていて、暮れはずっとつきっぱなしなんだね。景気づけだろうけど。ジョギングには明るくていいけれど、なんか走ったり、歩いたりするのが恥ずかしいくらい明るい。





今も、多分この人工の堀の下には港まで流れ込む堀川の水が港の潮の干満の影響を受けつつ、流れているのだろうと思いたい。
ボクの町は、堀川端の風景を残し、そこを綺麗に保つよりも、安易な護岸改造を選んだ。
そこは夏になれば近くの小学生が手製のセミ取り用の網を持って行き来し、ギンヤンマを追いかけてちょっと汚れた川の土手に通ったコンクリートの通路で待ち伏せした。自分の親指よりもでかい「ヤマナメクジ」を生まれて初めてそこで見つけ、一体どれくらい塩があればこの怪物が溶けるのかと、近所の悪ガキ達と知恵を絞った。
堀に沿った木々にはたくさんの蝶や玉虫やカナブンが金や緑の色を炸裂させていた。
暇つぶしの近所のおじさんは、満潮になり逆流した塩水で上がった汽水の水に釣り糸を垂らし、ボラやスミヒキを釣っていた。
小学6年生のとき、それら全ての風景は大きな鉄製の土管の中に埋まり、通りにいくつかかかっていた御影石の小さな橋はもうどこにもない。
子供達は市販の大きな網で何を掬っていいのかわからないまま振り回して走っている。セミを捕るのにどんな網がいいのか、危険な遊びをしやしないかと見張りつつ話しに夢中の母親達は、選ぶことも作ることも出来ず、セミはただの虫に格下げされ、でかい蝿のように嫌われる。
ボクの町はそれを選んだ。
野ネズミが走り、それを捕食するアオダイショウが笹の中で鎌首を持ち上げる。
ボクラはそれが毒のない蛇で、ネズミを面獲る有益な爬虫類であることを何となく知っていた。
モンシロチョウとスジグロシロチョウの違いもそこで見て知った。
ただ、今でも春になれば、堀沿いにあって僅かに残された桜の巨木がうす桃色の花吹雪を舞わせる。
「きれい!」と感動する老人達の横を、既に季節感ごと喪失した子供達は無感動に学校へ急ぐ。
PTAが買ってきたスミレやヴィオラの花の世話をするために。
派手で美しいイルミネーションは民家も飾る。

ガレージから玄関までこれ見よがしにクリスマス気分を演出する。
多分、この年の暮れのイベントへの協力なのだろうと思いたい。
でも、子供達には数年前にそのイルミネーションにみせた大いなる興奮はもうない。
人工の花は夜しか見えず、一度見てしまえば、受け身の魅力は続かず、大人にせがんで外に出ようとする子供はもういない。
今は「きれいね」といって通り過ぎる大人達が夕食後のウォーキングに精を出しながら、歩いてゆくだけだ。
夜空にはうす緑色に反射する鏡のように冴え冴えとした美しい月が出ている。
イルミネーションの美しさは、その月を仰ぐ大人の視線すら奪っているかのようだ。
ボクの街は何をやりたかったのだろう。


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