1音の孤独 [音楽]
モーツアルト/ピアノソナタ第8番イ短調K.310
第1楽章:アレグロ・マエストーソ
第2楽章:アンダンテ・カンタービレ・コン・エスプレッシオーネ
第3楽章:プレスト
ピアニストの指先が叩く主題の最初の1音が、全ての悲劇と緊張を言い尽くして響く。
張りつめたテーマの中に込められたモーツアルトの具体性を感じるほどの哀しみは、この曲が売れようと売れまいと書かずには精神のバランスが崩れてしまうほどの衝動があったのではなかろうか。
芸術というものが、常に高邁な文化として値段の高い椅子に鎮座していた時代ではない。
音楽を聴き、哀しみを共有する感応を求める聴衆が当時何人いたろうか。
モーツアルトの書く作品が純度が高ければ高いほど、真に楽しい音楽以外は敬遠されてしまうのはやむを得なかったのかも知れない。
第2楽章のアンダンテ・カンタービレは涼やかな心の抒情を歌う。
でも、その瞳には周りの景色など何も映らないほどの溢れ出ようとする涙がある。
心が第1楽章を引きずってしまって切り替えができないまま聴いてしまうからではない。
それは、そのような音楽として生きている。
自分の周りにはたくさん同じような愛情があり、それらが自分を優しく包み癒してくれていると、そう信じていたものが、失われたたったひとつの愛情によって、太陽を失った惑星のように色褪せ、自分の心の中で冷え、心の温みと置き所が判らなくなるほどの惑乱を与える。
還りようのないものを呼び戻そうとするような音楽。
哀しく美しい歌のように聞こえます。
疾走してゆく哀しみが曲の終わりが近いことを知らせる。
惑ったままの心が音符になって走る。
これは、プロフェッショナルが抑えてきた感情を敢えて隠すことなく、表明しながらも、そこに一片の無駄もない突き抜けた透明さを持った、書くことで役割が終わったピアノ曲です。
最初の1音にこだわった演奏を幾つも探しました。
ボクが日本人だからでしょうか、この曲に関しては、リパッティよりも、ギーゼキングよりも、グルダよりも、内田の演奏が心を捉えます。
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