どうしたことかフランス風 [音楽]
アントン・ルビンシティン/ピアノ協奏曲第3番ト長調op.45
第1楽章 モデラート・アッサイ
第2楽章 モデラート
第3楽章 アレグロ・ノン・トロッポ
一聴、『ありゃ、サン=サーンスかこりゃ?』っていうほどロシア音楽から遙か彼方にいる。
1853年から1854年にかけての作品。
彼の作品は20世紀初頭に絶版となり、完全に忘れられた。最近ほぼ完全なチクルスが再構成されシンフォニーから歌曲までほとんどのレパートリーが聴けるようになっている。
全部はとてもじゃないが聴けない。
ボクが聴いているのは少しの室内楽とピアノ協奏曲、そしていくつかのピアノ独奏曲。
そして聴く度に、この人の並みでないオーケストレーションの巧みさと国籍不明の洗練に呆れる。
以前ピアノ協奏曲からブルックナーが聞こえたことがあったけれど、木に竹を接いだようなところがない。様々な複線と動機的関連が練られ、そこに大きくピアノの存在を誇示するのではなく、気が付くとピアノが独奏している。
速度指定に癖があるようで、演奏者によって相当違っている。
第1楽章はホントにサン=サーンス。
ちょっと水っぽいほどの旋律線が、ロシア公用語の国の雰囲気を漂わせる。
『大地は暗く重いけれど、空はかの地と隔たりなくつながっているよ』とでも言いたげに飛翔したまま地に降りない。
中空を舞い続けるゆったりとした音楽は、どことなく上品でとぼけた味がある。
第2楽章のモデラートはまさに点描のようなテーマが絶妙にマッチしたオーケストラのフォーマットの間に明確に打ち出されてゆく。
よく力量のない作曲家が協奏曲を作るときに使うドンとかバンとかいう短い合いの手のようなトウッティが皮肉にもピアノのバスに打ち出され、おもむろに美しく紡ぎ出される旋律は暗くもなく、切なさもなく、中庸のロマンティシズムでこれまた宙に浮いたまま。
サン=サーンスの第5番エジプト風を連想させる。
第3楽章は第1楽章と第2楽章のテーマを管楽器が吹奏し退屈しない。
こんなに明るくて洗練された管楽器の独奏とメロディの編み方は、ロシア民族楽派からは国辱ものなのかも知れない。
サン=サーンスの『ウェディングケーキ』を連想させる。
わずかにロシアっぽいか、これは意識したのではなく、血が持っている音楽の色のようだ。
間違いなく、これは第3楽章がメインだね。
ロシア人ピアニストの教祖的存在でありながらリストのような技巧が押しつけがましいほど前に出るタイプではないのか、不思議なほどオーケストラに組み込まれている。
自由に弾かれるカデンツァは文句なく美しい。
かなりの難技巧だけれど、旋律主体であり、ラフマニノフのような和音をつかみながらなお歌うようなとんでもない演奏ではないけれど、何でもできそうな感じがする。
超一流のミドルかウェルター級クラスのアウトボクサーだね。
それも、フランス人の好みそうなディフェンス主体の絶対負けないタイプの超絶技巧派ボクサー。
カルロス・モンソンみたいなタイプ。(知らないだろうなあ)
これは是非第3楽章長いから途中まで。
Anton Rubinstein: Piano Concertos Nos. 3 & 4
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Anton Rubenstein: Caprice Russe; Piano Concerto No. 3 in G
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