ウィーン風 [音楽]
演奏会用ロンドニ長調K382
主題と7つの変奏 カデンツァとコーダを持つK.175のピアノ協奏曲の最終楽章をウィーンの聴衆のためにヴァージョンアップしたもの。
ザルツブルク大司教と訣別し、ピアノ教師としてそのステイタスを確立すべく、プロとしてウィーンで演奏会を成功させるために採った手段は自作を自演し、その音楽で聴衆を獲得することだった。
と、まあ、シロウトが音楽史家と同じ事書いたって仕方がないけど、モーツァルトはそれを聴衆に媚びるという形ではなく、自分の音楽に聴衆を招き入れる。
ボクも何世紀も遅れて招かれてるわけだけど、残念なことにこの短い曲に毎会違ったカデンツァとコーダを付けたその時代の彼自身の演奏を聴くことはできない。
この曲に関して彼のカデンツァは書き直されず、最初の楽譜のままだという。
もちろんモーツァルトには「カデンツァをそこに置くよ。」という程度のマークだったのだと思う。
彼はそこにその時の楽興に従ったインプロヴィゼーションを発揮したのだから。
たとえ、美しいフロックコートが欲しくてこの音楽を手放しても、音楽の自由さは手放さなかった。
お金でモーツァルトの音楽は買えても、モーツァルト自身は買えないのだから。
この曲はよくK.175と一緒にCDに録音されている。
中にはこの曲をK.175(ピアノ協奏曲第5番)の第3楽章に置き換えて演奏しているピアニストも多い。
置き換えても、第2楽章から第3楽章への移ろいに違和感もない。
アレグレット・グラツィオーソの軽快なテーマから始まり、コケットで華やいだいかにもウィーンの聴衆が好みそうな旋律だけれど、その中にふと織り込まれる影の部分にはここだけは譲れない意志的な深さがひっそりと膝を抱えている。
そのアダージオの部分。
それは聴衆が音楽の真摯に気づく一歩手前で、見事に裏返ってみせる。
アレグロの短いカデンツァと冒頭の主題に基づくコーダはわずかに感じたロマンの翳りをアポロ的な日射しの中に霧散させる。
これがプロってもんですね。
演奏は残念なことにボクが愛聴していたアニー・フィッシャーのてきぱきとしてイメージに合っている演奏がYouTubで拾えませんでした。
以前はあったと記憶しているんですが。ブレンデルは真面目すぎるし、アシュケナージはロマンティックに湿りすぎている。
テンポが似通っているので選びました。
ちょっと変化球だけど、鋼鉄の女アンネローゼ・シュミットが弾くコンサートロンドをどうぞ。ウィーン風じゃなくてドイツ風です。
モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調 K.482/コンサート・ロンド イ長調 K.386/コンサート・ロンド ニ長調 K.382/ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488
- アーティスト: ブレンデル(アルフレッド),モーツァルト,マリナー(サー・ネヴィル),アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2001/06/06
- メディア: CD
モーツァルト:ピアノ協奏曲第25番/ピアノと管弦楽のためのロンド/ピアノ協奏曲第20番
- アーティスト: ブラダー(シュテファン),モーツァルト,マリナー(ネビル),アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
- 出版社/メーカー: ソニーレコード
- 発売日: 1996/09/21
- メディア: CD
8番も好きです。
by Silvermac (2011-01-25 06:53)