コルトーのシューマン [音楽]
交響的練習曲 op.13
ワルター・ギーゼキングが20世紀初頭にかけて活躍したピアノ芸術の分野で即物主義的客観主義において演奏スタイルを確立したのに対し、ロマン主義的主観的奏法においてアルフレット・コルトーは対象的な位置にいた。
ボクはどちらかと言えば音の貧しいモノラル録音から、その音楽の真髄を聞き出すような偉大な評論家諸氏の真似はできないから、あまり古い演奏は聴かない。
また、演奏として色褪せるスピードはコルトーが遙かに速い。
しかし、作曲者の意図を楽譜の上から突き詰めて行くやり方の問題ではなくて、それは技術と表現する方法の問題のように思う。
ギーゼキングは全てにおいてザッハリッヒであったかというとそうでもない。
コルトーの演奏が主観的であると感じるのもまた一個の人間の印象に客観的な基準をもって当て嵌めた結果であるとも言える。
ややこしい演奏は嫌いである。
ロマン主義的音楽の旗手であったロベルト・シューマンを弾くコルトーの演奏はさぞや鵺「ぬえ」のような音楽であろうかと想像するけれど、意外とそうでもない。
特にこのシューマンの交響的練習曲だけは何故かしらんけど、ボクは素直に聴き惚れている。
コルトーの感覚的表現が作品の性格変奏の中に潜む幻想性を見事に掴んでいて粋で崩れを見せない。
伸びすぎたり性急に詰まったりした縁楽がなくて絶妙の間が、テンポの変化の隙間に置かれていて楽譜の背後に生きた音楽の流れがしっかり掴まれている。
積み上げて行く音楽様式を採るこの作品の真髄の中に明滅する情緒の変転。明暗。静謐と劇的緊張。
それらを同じ振幅で処理して行くセンス。
どこかで自分の感性と作曲家の心情とをシンクロさせる透明な器を作曲者と同時に覗き込んでいる。
彼が表現しているのは、交響的練習曲という器楽としてのピアノを超えるスケールを持つ音楽を創造したシューマン自身が楽譜を書き終えて自らピアノに向かったその音楽である。
シューマンが書いた楽譜はシューマン自身にとってもきっと既に存在している音楽だったはずです。
うーむ。ややこしい文章になってしまった。
コルトーの演奏は決して冴えわたった切れる演奏ではありませんが、とても息づかいが判りやすいです。
Symphonic Etudes Op 13 / 5 Posthumous Var on Op 13
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: Nuova Era
- 発売日: 1999/11/16
- メディア: CD
- アーティスト: コルトー(アルフレッド),シューマン,ドビュッシー,ラヴェル,アルベニス,フランク,ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団,パリ音楽院管弦楽団,管弦楽団,インターナショナル弦楽四重奏団,ペッカー(ボリス)
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 1999/04/09
- メディア: CD
Bravo!!
感動しました。ありがとうございます。
by glennmie (2011-05-20 08:17)
この曲は、私の青春時代の曲です。何度聴いても美しい。感動的ですね。
by アヨアン・イゴカー (2011-05-22 01:23)