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寒中水泳 [One's Boyhood story]

小学6年の正月。
初めて父にナイフを貰った。
小さなVctrinoxのステンレス・スティールだった。
ライト・オフィサーに近かったのかな。
木を削っても、指を切っても自分の責任だと無言の言葉がくっついていたように思う。
父の思うようには育たなかったボクだけど、父の気概はよくわかった。
ボクは正月の2日目に港の漁船が入る、堤防の先端の誘船灯の下で、父の釣り道具を持ち出して朝早くから、竿を振った。
貰ったばかりのナイフで杉板の上でアジを輪切りにし、3センチくらいの太郎針を刺し、堤防の先から見える向かい山の灯台に向かって思い切り投げた。
既にボクの足下には、漁師が「百貫=ひゃっかん」と呼んでいた大きな穴子のような禍々しく鋭い歯を持ったウツボの出来損ないのような魚が二、三匹のたうっていた。
つり上げても食べられない厄介な外道だ。
そいつらにエサをとられ、用意してきたアジはもう頭の部分しか残っていなかった。
「おう、釣れたか?」
堤防の下から声がし、のぞき込むと伝馬船のエンジンを上げたまま櫓を漕いで、笑いながら漁師のおじさんが正月に内海で舟を洗いに行くところだった。
およそ、正月とは思えない紺の作業着に、魚鱗が散ったような跡のあるベージュの作業ズボンにクロの長靴。
タバコをくわえたまましゃべるから、白い息とタバコの煙が一緒くたになっている。
「釣れない。」
「何狙ってんだあ」
「クエ(モロコとか言われるのかな、緑色の目をした縞模様の大きなハタ科の魚大きいのは1メートルを超える。)」
「へへえ、いるけどなあ、兄ちゃんにあがるかねぇ」
目尻に深い皺を刻んでおじさんは人なつこそうに笑った。
からかいはない。

漁師のおじさんは「釣れるわけない。」
とは言わなかった。
ボクの魚の捌き方や、竿の投げ方、エサを落としている場所が、よそ者でない、地元の子供で、その内海をよく知っているとわかっていたからだ。
「釣れるかも知れないけれど、ボクに釣り上げることは無理じゃないか?」という極めて現実的な問いかけだったと思う。
「うん。これくらいのは揚げたことがあるよ。市場の堤防の方でね。」
ボクは置き竿を見ながら両手を50センチくらいに広げた。
すでに、漁師のおじさんの舟はもうはるか向こうの山際に小さくなっていた。
正月の内海は静かで、音がなかった。

エサのアジの切り身もなくなったし、帰ろうかと思って置き竿に触りかけた時、竿の先がグッ…と曲がった。
そのまま小刻みにビクンビクンと穂先が動けばでかいガシラ。
一度目より二度目が大きくしなり、三度目で竿先が弧を描けばクエだ。
どんぴしゃりのタイミングでボクは体重を後ろにかけて倒れるように竿を煽るつもりだった。
でも、竿は動かなかった。
ボクの両手は竿と立てかけていた杉の丸太の間に挟まって、凄い力で締め付けられた。
夢中だったので痛くはなかったが、はっきり言って力負けしていた。
早く底を切らなければ、根に入られて糸が切れる。
息を詰めて必死で竿を起こそうと焦っているボクの目に、漁師のおじさんが沖から、両手で「竿を立てろ」と声を出しながらジェスチャーしているのが見えた。
ポンピングできない。
ジージーという音を発てて締め付けたドラッグから糸が出てゆく。
太い糸だけど、締め付けすぎると切れてしまう。

ボクは思い切り杉の丸太に片足をかけ右手と左手を広げて竿を握り、踏ん張って竿を立てようとした。
その時、ごろり…と支えていた丸太が前に動き、ボクは勢いよく後ろにひっくり返った。
丸太は音を発てて堤防から下の海に転がり落ち、ボクは強かに背中を敷石に打ち付けた。
糸が一気にふける。

数瞬、息が止まっていたボクが身を起こすと、父の竿ははるか向山の方に赤いマッチ棒のように小さく見えた。
漁師のおじさんは、両手を交差してから、手を振って、船のエンジンをかけ外海に面した市場の堤防の方に舟を走らせた。
ボクの手から離れた竿のすぐそばを通ったように見えたけれど、竿を拾ってはくれなかった。
「木を削っても、指を切っても自分の責任」
ボクは不思議と困りもしなかったし、悔しくも、情けなくもなくて、上着を脱ぎズボンも脱いでパンツいっちょになり、真冬の内海にそろりと入った。
思ったより海水は温かく、冷たい部分と妙に暖かい部分がまだらにあって、ボクは時間をかけてゆっくり泳いで竿の所まで届いた。
内海は透明度はあまり無いけれど波立ちもなく、苦もなく前に進んだ。

竿の柄を掴んだ時、一瞬「まだ掛かっているかな」と思いもしたが、竿は簡単に持ち上がった。
糸はハリスを通したヨリ戻しの部分で切れていた。
正月2日に思わぬ形で寒中水泳をすることになったが、家に帰ると置いてきぼりをくったボクの犬が不満の意を体全体で表現し、鎖を鳴らしていた。
「何を着せても無駄ねぇ」
母はため息をついて正月早々朝早くから洗濯機をまわした。
父は年始の挨拶で早くから出かけたと聞いて、ボクは急いで竿を拭き、リールを乾かして、何事もなかったように物置に竿をしまった。
ボクの右手の中指の第2関節には杉の丸太に押さえつけられた時にえぐれて、その後に化膿してし、ばらく直らなかった傷が今も少し残っている。


長男が高校1年になった時、ボクは彼にVctrinoxをプレゼントした。
今の時代。アウトドアに出かけることでもなければ、鉛筆を削るくらいしか使い道がないかも知れない。
ボクは父のように、小学生に与えるような度胸はなかった。


左利きの長男はデッサン用の鉛筆を不器用に削っている。


 


 





 


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