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グランド・ソナタ(オーケストラなしのコンセール) [音楽]

シューマン/ピアノソナタ第3番ヘ短調op.14「グランド・ソナタ」


作品番号はシューマンのピアノソナタ第2番より若い。
これは単に2番に元もと再版するまで番号が付されていなかったからに過ぎないようだ。
原型ではスケルツォ楽章が二つあり、全部で5楽章だったということだが、一つが後に削られ、4楽章の今の形になったという。
当時クララ・ヴィークとの交際を

父であるフリードリヒ・ヴィークから禁じられていたシューマンは彼女の手による主題を第3楽章(クララ・ヴィークによるアンダンティーノ)に配して、楽曲全体に想いを織り込んでいる。
4楽章全てが短調で書かれており、翳りを帯びた情熱と幻想性をもっている。
技巧的にも華麗であり、グランドマナーを必要とする作品で、しっかりしたピアニストが腰を据えて弾かないと、ロマンティックな情動に押しつぶされたような演奏になってしまう。
ベートーヴェンにあるようなかっちりした構成が感じられるものではなく、シューベルトのような歌うソナタでもない。
しかし、不可思議な不安定さが微妙なバランスでロマンティックなメロディーの上に成り立っており、どこから聴いても途中という感じがしないシューベルトとは情念の濃さが異なる。

ボクはこの演奏に関してポリーニを待っていた。
1984年ウィーン芸術週間で弾いたダヴィド同盟舞曲集とグランドソナタを今ボクは聴いている。
これと同じ組み合わせで発売されているCDを聴く前に、同じコンセプトのこの演奏会をまだ聴き込んでいない。
リサイタルではダヴィド舞曲集も、このソナタも第2版ではなく初版を使用している。
特にソナタの方はホロヴイッツのような4楽章のグランドソナタとしての形ではなく、作曲された当時の3楽章形式のコンチェルト形式を取り、スケルツォがない形のまま演奏している。
3楽章形式の『オーケストラなしのコンセール』の形をとるが故に、クララ・ヴィークの主題による変奏曲は楽曲の中心に座り、ボク的には極めてプライベートな愛のソナタの構成に思える。
タッチの正確さ、音色の美しさ、申し分ない。聴いてないのに紹介している下のCDはこのリサイタルと同様初版を使用しているのだと思いたい。
作品14のソナタはボクにとってこの構成の方がわかりやすい。

シューマン / ダヴィッド同盟舞曲集

シューマン / ダヴィッド同盟舞曲集

  • アーティスト: ポリーニ(マウリツィオ),シューマン
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2001/05/09
  • メディア: CD


でも、4楽章形式のグランドソナタとなれば、やっぱりホロヴィッツだろうな。
数十年前の日本初来日の際、酷い演奏を聴かされたボクは、物見遊山できていたこの19世紀最後のヴィルトゥオーソに失望した。
「好きか?」と聞かれれば以来「嫌いだ」と言うことにしている。
でも、悔しいけれど、彼の演奏にはやはり抗しがたい魅力がある。

ホロヴィッツ・カーネギー・ホールライヴ1975

ホロヴィッツ・カーネギー・ホールライヴ1975

  • アーティスト: ホロヴィッツ(ウラディミール),シューマン,モシュコウスキ,ラフマニノフ,ショパン,リスト,ドビュッシー
  • 出版社/メーカー: BMG JAPAN
  • 発売日: 2003/10/22
  • メディア: CD

芸術家の気まぐれってやつは自分が関わらなかったら結構気楽に聞けるものなんだけどね。
グランド・ソナタに関してボクはおそらくこのホロヴィッツの1976年71歳のリサイタルのライヴ録音を超えるものを聴くことはないかも知れない。
あの、指先を異様にそらせた極端なレガート奏法から生み出される信じられないような色彩と情熱。
シューマンの楽曲がこれほど演奏者の言葉として語られ、説得力を持つことはないだろうと思える。
テンポ、フレーズ、表情、様々な点でめまぐるしい変化が用意されている。
それは恣意とも言えるほどだけれど、作品の本質を深く突いた説得力を持っている。
つまりだ、この曲の持っている不確かで不安定な愛への身を削る献身がシューマンの本心であるなら、それを全て語り尽くしているようにきこえるということです。

 


 


 


 


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