室内楽の宇宙-別の道 [音楽]
ブラームス/弦楽四重奏曲第2番イ短調OP.51-2
第1楽章:アレグロ・ノン・トロッポ
第2楽章:アンダンテ・モデラート
第3楽章:クワジ・メヌエット
第4楽章:アレグロ・ノン・アッサイ
この第2番の弦楽四重奏曲にはゲルマンからスラブへつながる道がある。
シューベルトと見紛うような旋律線。休止する通奏の上にべートーヴェンのような旋律が歌う。
でも、この曲の全身は紛れもなく、ブラームスの、苦悩する姿ではなく、ほんの少し、気分が和らいだ抒情的な気分が醸されている。
この作品も慎重居士のブラームスらしく、親友であったヴァイオリニストヨーゼフ・ヨアヒムの助言によって補強されている。
まるでドヴォルザークがそこにいるようだ。
第2楽章のアンダンテ・モデラートも敢えて劇性を廃したかのように、ゆっくりヴァイオリンが先頭に立って歩いて行く。
第16番のベートーヴェンの簡潔さが思い出されるようなフレーズが思い出のように耳をかすめる。
でも、ブラームスらしさは低音の現のトレモロの上を特徴的な歌が流れるところだろう。
作風自体が抒情的であり、個々ではそれ以上の思い入れは要らない。
音楽に語らせるような、ラサールSQのような即物的な演奏がいい。
作品が十分ロマンティックであり、それをことさら取り出していじりまわす必要はない。
この楽章は晦渋であるかも知れないけれど、非常に滋味効くすべき複雑な歌が隠れていて、何度聴いても新しい美しさに行き当たる。
ブラームスの室内楽の楽章でもとびきりの出来映えではないかと思っている。
でも、この道はベートーヴェンの行こうとした道ではない。
高みへと厳しさと主情的で内省的な音楽を構築してゆき、救済的な精神の高みに入って行くのではなく、あくまでも地上と平行したブラームスの視線は、親しみと自由とその裏にある孤独を見つめている。第3楽章、クワジ・メヌエットは軽やかではないけれど、あくまでそうあろうとしたかった人間くささに満ちている。ベートーヴェンが切り捨てていった人間の贅肉をブラームスは押し包んだまま人間らしく歩いている。
フィナーレのアレグロ・ノン・アッサイはひとつの方向に収斂してゆく音楽ではなく、もっと自由だけれど、そこに癒されるものはなくて、行く道に孤独を感じながらも、人に優しく関わろうとするブラームスの気分が強く支配している。
この作品は人気は今ひとつだけれど語るべきものは多い。
ベートーヴェンが書かなかった世界に続く道が見えるようです。
つまり、名作です。
余分な装飾や思い入れを取り去った音楽のみを語るザッハリッヒ(即物的)な演奏でどうぞ。
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- アーティスト:
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック株式会社
- 発売日: 1992/12/10
- メディア: CD
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