絶対管弦楽 [音楽]
マーラー/交響曲第6番イ短調《悲劇的》
第1楽章:アレグロ・エネルジコ・マ・ノン・トロッポ(激情的にただし、力強く)
第2楽章:スケルツオ(重々しく、8/3拍子の刻みを引きずらぬように)
第3楽章:アンダンテ・モデラート
第4楽章:アレグロ・モデラート~アレグロ・エネルジコ
短調で始まり短調で終わる。
運命に挑戦する英雄的な人間の闘争…大量の管楽器が投入され、打楽器は特徴的な扱いを受ける。
4つの楽章はどれも保守的な形式を持っていて、古典的で厳格な構築性を持っている。
そのことが、全ての楽章を堅牢な括弧書きの中で聴くような印象をもたせる。
でも、和声はそれまでのどの交響曲よりも大胆で、マーラーの独特の斬新さを垣間見せる。
この長大さはボクの集中力の限界である。
第9番の耽美な終焉の切り口の赤さも、第5番のアダージオの浮遊感もない。
唯一第3楽章のアンダンテに変ホ長調のやすらぎがひととき訪れる。
太陽が翳り出す刹那のひやりとする空気の温度の変わり目のような、ゆったりとした歩みがゆるされる。この緩徐も弦楽よりもむしろ管楽の豊かで、まろやかな響きの中で熟成されている。
楽から苦へ音楽は明から闇へ向けて厚みを増してゆき、第3楽章の歌は固有の美しさを保ちながら何時底までたたき落とされるか解らぬ緊張感の中で息を詰めたまま、蠱惑的なヴァイオリンの歌がとぎれながらホルンの後を空にオレンジ色の糸を引きながら追いかけてゆき、遠くに鐘の音を聞きながらゆっくりと閉じる。
そこには溢れんばかりの激情に胸が張り裂けそうになりながら、耳から、鼻から流れる血の赤さに気づかないで、青白く痩せた顔で微笑みを作っている男がいる。
歌を必要としない絶対的な管弦楽の世界が長大な幕引きまで様々な起伏に富んだ音世界を展開する。
フィナーレはアレグロ・モデラートで始まり、アレグロ・エネルジコで閉じるまで幽鬼の巣窟に迷い込んだような、マーラー特有の、厚みではなく、ひたすら心の地平を広大に広げてゆく、極めて個人的な告白が長く、ひたすらながく、続けられる。
幸福と家族への愛と自分の目の前にある何か掴みかけたものに数歩歩み寄ろうとした時、悲劇的なハンマーは背後から男の後頭部を打ち抜く。
ボクには英雄的に正面から打撃に耐えたような姿は浮かんでこなかった。
天から下りてくることのない光をひたすら待つような、そんな愚かさはなく、ひたすら前のめりになりながら行進する極めて個人的な英雄は背後からの一撃で打ち倒された。
どちらがどうというのではないけれど、マーラーを聴いた後でブルックナーを聴くとマーラーは音楽の中心に人間があり、それは生きていて、どう生きるか常に苦悩しながら周りをその狂おしい心象の色彩の渦中に巻き込んで行く。
ブルックナーには真ん中に座る人間を感じない。
彼が音楽として描いたものは常に個を離れた自然であり、自然の造り主の方に視線が向いている。
彼はそれを外側からキャンバスに描いている。
凄まじい感情移入とともに。
マーラーには薄明があり、匂いがあり、闇がある。
シューベルトに一瞬感じるような底知れぬ闇はマーラーのそれによく似ているのかも知れないと今初めて思った。
ボクはもう少しでそれに届きそうなのかも知れないのだが、残念なことにこのギネス級の長大な人生交響曲をもう一度初めからすぐに聴き直す気力も体力もない。
- アーティスト: バーンスタイン(レナード),ハンプソン(トーマス),マーラー,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2000/10/25
- メディア: CD
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