ホロヴィッツで聴くスカルラッティ [音楽]
ホロヴィッツで聴くスカルラッティ
昔はこのピアニストと決めたらどんな曲でもそのピアニストで聴きたかったけれど、年取ったせいか、作品で弾き手を選ぶようになっている自分に気がついた。
特にピアノという楽器にはそれが激しい。
だから、
『ホロヴイッツで聴く…』というより、『ホロヴィッツでしか聴かないスカルラッティ』と言い直そうか。
バッハと同じ年に生まれたイタリアの作曲家は生涯にチェンバロのために555曲のソナタを残した。
ホロヴィッツは西側に亡命してからずっとこの作曲家のソナタをコンサートや親密な集まりで愛奏し続けてきた。
その様々なショウピースから厳選されたスカルラッティソナタ集は17曲が取り上げられていて、いまはCDにリメイクされてボクの耳に今も聞こえている。
でも、チェンバロのために書かれたこれらのソナタをその器楽の好楽家が弾いてみせるものにボクは残念ながら心が動かない。
これらの17曲の選ばれたソナタはどれも引き締まった造形で、恐ろしいほど良く磨かれ、弾き込まれていて、現代のグランドピアノの一部の鍵盤しかようのない作品なのに無限の音世界を与えてくれる。
これはホロヴィッツのピアノ曲なのだ。
一点の濁りもなくピアニスティックであり、あらゆる細部が確信を込めて表出され、ホロヴィッツの個性で磨かれ、洗われ、漂白された上に淡々と弾きこなされている。
作品の持つ力以上の魅力が聴ける。
L.424のニ長調のアレグロの切れの良さ、ふっと翳ったときのカンタービレの美しさ。
L.118ヘ短調のどこともくっつかない孤立しきったロマンティシズム。
L.465アレグリッシモを弾くときのやや前屈みに普段より指を立てたホロヴィッツの生み出すマルカートな音色の爽快感と疾走感。
L.21ホ長調アンダンテ~アレグロ~アンダンテの同じリズムとテンポの中でのもの凄い音色の変化。それは明るく響きながらノスタルジックでもある。
鍵盤の途中まで指が滑るように押されながらどこかでハンマーを強く叩く瞬間を変えている。
美しさは数え上げるときりがない。
決して重なり合っても滲まない音色。
凛として鳴りきっていて、見事。
L.203やL.187のアンダンテ・カンタービレの純粋な響きの歌。
カンタービレであるために個々の音を弾き崩すこともなく、あるがままに歌う。
一度はスカルラッティと言う古い作曲家の音楽を聴こう。ホロヴィッツで。
叱られるかも知れないが、ボクはそうでなければスカルラッティを敢えて聴こうとは思わない。
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