苦悩の果てに [音楽]
ベートーヴェン/ピアノソナタ第27番ホ短調OP.90
第1楽章 ソナタ形式 速く、そしていつも感情と表情をもって
第2楽章 ロンド形式 速すぎないように、そして十分に歌うように
この短い、きわめて歌謡的なソナタは本来の音楽から政治的信条の狭間で苦悩し、歌を失っていたベートーヴェンが、新たに後期につながってゆく過程のロマン的で歌謡的なエッセンスが詰まった作品です。
人は苦しいとき、その苦しさを表現する手段として言葉や楽器や筆を持ち、自分の中に澱のように溜まっている様々な段階の我欲、他利的な苦悩を一気に吐き出す。
暗く激しい表現をもって、黒いものを黒く塗ることで浄化しようとする。
もう一方にはそのような現状の苦しさから真逆の芸術を生み出す反動のエネルギーを拾い出すこともある。
激しさはここにはなく、重々しい主題の労作もなく、明るくあろうとする心の流れのままに、まるでシューベルトのようなカンタービレが一筋の旋律として左手のあるベルティバスの上に明滅する。
第2主題の劇性もどことなく思い切れずに後を引く。
第2楽章はあなたもボクと同じように『これは、シューべルトだ!』と呟くかも知れない。
シューベルトのピアノソナタホ短調D.566の第2楽章の主題が、既にここにできあがっている。
これはシューベルトの歌であり、ここまでの酷似はベートーヴェンがこの曲を作ったとき、何かこの旋律を引用した元歌があったのかも知れないとまで思わせます。
シューベルトは間違いなく、それを聴いたか、このベートーヴェンを聴いたのだと思われます。
そして、いかにもこれはシューベルトが歌い出す純粋で抒情に溢れたカンタービレなのです。
ベートーヴェンからは出てきそうにない旋律。
でも、これは紛れもなくベートーヴェンの作品なのです。
彼がこの時代の苦悩の中によろけつつ前を向いて歌った歌なのです。
この一曲で彼はこのように流麗なカンタービレを手放すのです。
彼はその後、その過渡期となる第28番を書き、長大な29番を経てきわめて個人的な内省の深化が普遍に続いていることを極める道に至ります。
この第2楽章は苦悩の果てに生まれた真逆の音楽です。
CD化されるものの中にはやれ3大ソナタだの4大ソナタだのと言う宣伝文句があって必ずこの曲はすっとばかされていて、標題のついた華々しいヤツがこれこそベートーヴェンという風に並んでいます。可哀相なベートーヴェン。
ここに紹介したのは比較的この作品に熱意を注いでくれている演奏です。あと、ケンプ。ボクは余り彼の演奏を聴きませんが、この27番はいいと思います。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第22番&第23番&第24番&第27番
- アーティスト: ポリーニ(マウリツィオ),ベートーヴェン
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2003/03/26
- メディア: CD
- アーティスト: グルダ(フリードリヒ),ベートーヴェン
- 出版社/メーカー: マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
- 発売日: 2000/01/22
- メディア: CD(これはモーツアルト・アーカイブとともに録音芸術として長く残すべき記録です。)
ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ 第27・28・30・31番
- アーティスト: ギレリス(エミール),ベートーヴェン
- 出版社/メーカー: ポリドール
- 発売日: 1999/03/03
- メディア: CD
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