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ヨアヒム・ラフ応援団-7 [音楽]

久々のヨアヒム・ラフです。
つい最近、友人に持って行かれたピアノ三重奏曲集も、もう一度購入しました。
これが中身の充実度に反してやたら安い。
2枚組で1000円を切るという超お買い得のCDでした。
一度流して聴いただけでじっくり聴かないまま手許から離れてしまったので、ボクは専らトリオ・フォントネの演奏を聴いていたのですが、この2枚組で聴くとまた違った素晴らしさを発見できています。
いや、後日、後日。(ブログ右下のバナーのHMVでクラシック音楽-Raffで検索すれば頭で出てきます。)

本日はラフのピアノ5重奏曲を取り上げました。

ヨアヒム・ラフ/ピアノ五重奏曲イ短調OP.107

第1楽章 アレグロ・モッソ・アッサイ
第2楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ;クワジ・プレスト
第3楽章 アンダンテ・クワジ・ラルゲット・モッソ
第4楽章 アレグロ・ブリオーソ・パセティコ

非常に充実した作品。
多作であったラフがただ一作だけ残した五重奏曲は弦楽四重奏曲の経験と管弦楽曲の編成に練れた彼ならではのロマンティックでありながら気品を失わない作品に仕上がっている。
ラフは決して時代の中で埋もれて行くような脆弱な作曲家ではない。
リストの後というのが変革の波に乗れなかった弱みとも言えなくはないけれど、リストの前であろうが後であろうが、現代の我々が21世紀のスパンで見れば古典・ロマンの中に混然と存在するきら星の中で大いに記憶を喚起していなければならない存在である。少しくらい早くても遅くても今は同じ。
むしろ、リストが編成したとされる自作の管弦楽曲が本当はどの程度ラフの手によるものであったかを詮索する方が面白い。
この作品の第1楽章は暗く重い。ピアノのバスの低い響きの中に弦楽の俯いたままの旋律がゆっくりと立ち上がる。やがて混然となる合奏の厚さは、美しいメロディラインの多いこの作曲家の室内楽中では異質であるほどシンフォニックである。非常に語るものが詰まった聴き応えのある、しかも晦渋一歩手前の抒情の美しさはそのままに、自由闊達である。友人メンデルスゾーンの才能の趨りはないけれど、到達点の深さはこういう作品を聴いていると人間の厚みに違いが出てくるのかなと思わせるものがある。聴かせどころをきっちり抑えたスケールの大きな曲です。
第2楽章はフーガから始まり、その跳ねるようなリズムの中をピアノのパッセージとチェロが会話して行く。
スケルツォといっていい。非常にシンフォニックで整然として破綻がない。中間部のヴァイオリンの歌を支えるチェロとピアノのアルペジオはフォーレのような趣がある。やがてクワジ・プレストの渦の中に緩急が交替し、控えめなピアノと得意のチェロの扱いが際だつ。
オリジナリティに溢れ、非常に聴き応えのある楽章です。
そして、非常に美しい第3楽章。
ピアノが奏でるテーマを通奏が追いかけ、表現豊かな旋律がゆったりと流れる。
こんな曲が何故、演奏されていないのか不思議です。
『日本人は所詮ベートーヴェンまでだろう』というのはあるドイツ人の偽らざる感想ですが、スイスやドイツ、オーストリアで様々に発売され始めているこの作曲家の作品の何分の一かでもボクは通販でなく、実際の店頭で見てみたい。
中間部の成熟した強奏のパトス。ラフの作風がピアノ協奏曲のたおやかさ以外にこのような骨太を聴かせることもあるのだという魅力に溢れた楽章。ええ、この楽章はホントに美しいですぞ。
長い楽章ですが、過度の緊張もなく、豊富な旋律と劇性が飽きさせません。主題の回帰と重なりが非常に巧み。
終楽章はおそらく彼の頭に残っていたベートーヴェンの旋律が形を変えて再現されているのかも知れない。
ピアノのリードするアグレッシブな世界がベートーヴェンのあのピアノ協奏曲第3番の第1楽章の主題を想起させます。オーケストラのような弦楽の通奏の上でコンチェルタンテなピアノが爽快なリズムを刻みます。『パセティコ』というより、『ドラマティコ』ですね。
お腹いっぱいになりました。

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ヨアヒム・ラフ ピアノ五重奏曲 icon

 

 

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