朽ちた小舟 [音楽]
フォーレ/舟歌第10番イ短調OP.104-2
生涯を通じて書き続けた舟歌は13曲。
特に中期の充実した書法の中では明確な情景が太い輪郭と淡い彩色によって描かれてゆくように
右手と左手が微妙な彩りのずれをともなって詩的な光と時間を紡ぐ。
選ばれた音達は深く浅く、濃く薄く、光と波が反射するまぶしさの裏にできるさざ波の影の連なりを映して行く。
一世を風靡した印象派の手法とは異なる詩の具象化。
ところが、彼は第9番を書いたあたりで少し違う領域に踏み込んで行く。
もっとも、これは音楽の専門家が地道に研究を重ねて検証したものではなく、ジジイの戯言ではあるのですが。
晩年のフォーレの舟歌。
特に第9番の描く世界以後彼の小舟からは漕ぎ手の存在が消える。
第9番の、うち捨てられた小舟が、もう二度と流れの中に漕ぎ出して行くことのない、回想の響きの中にあったのと同じように第10番の朽ちかけた古い小舟もまた同じように乗り捨てられて葦原に揺れている。
やがて落ちようとするセピア色の空の帳がふうわりと微笑むように降りてくる。
ゆったりと揺れる朽ち舟を描ききるでもなく、低い船縁に当たる小さな波達が風によって創る水際の煌めきを描くわけでもない。
役目が終わった孤舟にはもう、乗り込む人もない。
それは葦の茂みの中に静止したままわずかに揺れながら風景の中に溶け込んでいる。
回想的な音階は
偶然吹いた風になって黒い葦原をなぎ倒しながら朽ちて沈みかけた舟に届く。
枯れた葦の茎がちぎれ、風に張った朽ちた舫綱が切れ、孤舟は黒く染まった河面にゆっくりと風に押されるように出て行く。
舳先が川下を向き、周りながら艫が前を向く。
ゆっくりとレントのワルツを踊るように。
一番最後に降りた主の足音が去った小さな船着き場は葦原に呑み込まれ、夕暮れの濃いセピアとモノクロームの中に記憶と共に沈んで行く。
この演奏はジャン・ドワイヤンがベーゼンドルファーを弾いて録音したものです。
スタンウェイの青白い抒情でなく、このピアノは空間は狭いけれど、鳴り終わった後に暖かさが残る。
ドワイヤンの全集は今絶版らしくて注文しても手に入りませんが、YouTubeでは聴けます。貴重な演奏です。
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