習作が持つ水準 [音楽]
ブルックナー/弦楽四重奏曲ハ短調
第1楽章 アレグロ モデラート
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 スケルツオ-プレスト
第4楽章 ロンド-速く
ブルックナーが弦楽四重奏曲のために書いた作品は断片的な間奏曲と1906年に発見されたこの弦楽四重奏曲である。
作品としてはベートーヴェンとシューベルトが未消化で残っている習作としか言いようがないものだと思う。
それでも、そこそこの(彼以外の作曲家によるものであれば)話題にもなったろうと思える程度に完成されている。
大体ボクはいつも思うのだけど、ボクが勉強していた小中高の音楽室にはブルックナーのはげ頭もシェーンベルクの今まさにはげんとするing系の頭も、もひとつ言えばストラヴィンスキーの開き直った光頭部も肖像画として拝むことはなかった。
せいぜいヘンデルからバッハ、ベートーヴェンからモーツァルトを経てシューベルトにシューマン辺りで、悪魔的なリストなんかは夜の教室ではきっと目が光っていたに違いない。
肺病闇のようなショパンの痩せたお顔や創業して間もないアデランス頭のドビュッシーなんかどこで見たのが初めてだったかよく覚えていない。
その人達が書いた音楽が全てのような印象を受けていたね。あの頃は。
あとになってこれらの作曲家達は典型ではあるけれど、同等の実力者はきら星のごとくいたことを知った。
また、これは今の音楽界もそうであるように、きら星でなくて、生涯に駄作の山を築いた音楽家でもただ一曲光る曲を残すことだってあった。
シューベルトが書いたソナタだからってどれもロマンティックで心の深淵が覗くような寂寥感を漂わせているとは限らない。
もっとも、あの先生くらい作品を書きかけて次から次へ気が移った人もあまりいないけどね。
ベートーヴェンだって同じだ。意外と気が乗らないものだってある。
ただ、求める人のレベルによって明確に自分を合わせることができたモーツァルトの作品やありあまる才能で好むと好まざると関わりなく貧困のために書き飛ばした珠玉を数知れず生み出したシベリウスなどはよく判らないけれど。
ブルックナーのような正直な人間が捨てきれずに残した作品にはその人の”しるし”がそれなりに窺えて興味深い。
はっきり言って、この作品はそういったレベルである。
とても彼の弦楽五重奏曲の隣に並べておくような作品ではない。
ただ、第1楽章や第2楽章から聞こえてくる弦楽の擦過音の重なり不安定な編まれ方、Symhonyを意識したような、まるで管楽器を使っているかのような弦楽の短いフレーズの連続。
アンダンテに交響的なアダージオの片鱗を確認させる流謡感覚の緩慢なくり返し。
音楽の背後に厚く存在する巨大な自然は見えてこないけれど、何かが始まりかけているワクワク感があってしょうがない。
それはスケルツォでもっとはっきりしてきて、フィナーレでもっと明確になる。
音楽の因果的連鎖を果てしなく紡ぐ方向で汗にまみれるのではなく、つながらなければ断ち切って新たに進むという非常識なというか特異な技法がもうこの段階で必要なら全開になりそうなほど板に付いている。
CDを紹介するような作品ではない。
けれど、興味のある方は全楽章YouTubeで聴けます。
ここでは最終楽章を
String Quintet/ String Quartet
- アーティスト: Anton Bruckner
- 出版社/メーカー: MD&G Records
- 発売日: 2005/04/26
- メディア: CD
この辺のアマゾンのCD紹介はめちゃくちゃだね。五重奏曲を六重奏曲にしてたり、五重奏曲の調性をこの四重奏曲にくっつけていたり基本的にジャケットのタイトルを見ていない。少しがっかりしました。
勝手に修正させて貰っています。
今日のブリックナーは反応がありませんね。(゜◇゜)ガーン
by Silvermac (2011-06-10 15:56)