本格派のジレンマ [音楽]
サー=チャールズ・スタンフォード/チェロ協奏曲ニ短調
第1楽章 アレグロ モデラート
第2楽章 モルト アダージオ
第3楽章 アレグレット ノン トロッポ
ヒューバート・パリーと並ぶイギリスの古典音楽の重鎮ともいわれる。
ただ、のような自身よりもホルストやラルフ.ヴォーン・ウィリアムズ教え子が有名である。
ご尊顔はパリーがエルガータイプのジョンブルであるのに対し、こちらはインテリジェンスを感じさせる優男。
しかし、芯の部分はケンブリッジの音楽部で教壇に立ち専らブラームスを規範としていた。
オックスフォードにヒューバート・パリー、ケンブリッジにスタンフォード。共にブラームスに傾倒していた。
イギリス人の一端が垣間見える。但し、したたか。
古典の堅牢なベースに音楽の歴史が組み立てられ、様式と創造性の羽ばたきが世紀を超えて息づく。
彼らの直ぐ後にはリヴァプールから革新的な音楽が世に出るが、その核心の礎には普遍のイマジネーションが脈打っている。
本場フランスのワインをもっとも熟知するのはイギリス人であるといわれるのと同じように、かの国の古さには、新しさを包摂し、溶解し、吸収する”理解力”が麹のように生き続けている。
イギリスの作曲家が必ずといっていいほど作曲するのがチェロ協奏曲。
楽器の持つ低い擦過音の暖かさが風土に合っているのかチェロとオーケストラの作品は協奏曲という名が付かなくてもほとんどの作曲家がとり上げる。
このスタンフォードの協奏曲もまたそういう作品のひとつだが、この人はどうもメロディラインの美しさがもうひとつ高い音程にあるらしく、緊密でかっちりした作り方をしてゆくのでチェロが少し苦しそうに聞こえたりする。
シンフォニーに長けた作曲家なのでオケの扱いはとても巧みで独奏楽器を上手く溶け込ませている。
ただ、ホルンの音色にチェロのもっとも広々として美しい音色が滲んでしまうのは演奏のせいか、残念な部分。
パリーが客観性を失うほどブラ-ムスに接近したのに対し、スタンフォードは少し距離を置いて分析している。
どちらがうまくいったか、それは好みの問題で何とも言えない。
エルガーより遙かに広いフォーマットを準備したがために、チェロの存在感はかえって交響する音楽の中に取り込まれてしまった。
ピアノならばその広いオクターブで楽々と突破する結界がチェロには破れない。
頭抜けたチェリストが想定されているのだろうか。
第1楽章のカデンツァを聴いていてふとそう思った。
この曲のチェロのパートはこれほどの言葉を持っているのにと。
第2楽章はモルト アダージオの指定があり、揺ったりと歌う楽器の本領が聴かれる。中間部ヴァイオリンのトレモロに中から歌い出されるチェロは渋く、気高く、美しい。この作品の白眉。
第3楽章はオーケストラが吹き出す明朗なテーマを独奏チェロが引き継ぐ。
この明朗さはスタンフォードがもともと持っているもので以前も書いたけれど、いわば明るいブラームス。
何だか第2楽章で情動的になりすぎたと思ったのか、なんだか日暮れの山道を小走りに家路に向かう樵のようなイメージが浮かんだね。
聴き所は第1楽章カデンツァから第2楽章。10分あたりから
Cello Concerto in D Minor/Rondo in F Major/Irish R
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: Hyperion UK
- 発売日: 2011/10/11
- メディア: CD
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