悲しみの重さ [音楽]
ハンス・プフィッツナー/悲歌 op.45
正確には悲歌と輪舞作品 45
『悲歌』穏やかに-アンダンテ・トランクィロ
『輪舞』ロンド-アレグロ・モデラート
1940年の作品。
20世紀に至って今だにそのアンサンブルにドイツロマン派の矜持を持ち続ける。
現代的に軽快に、スピーディに仕上げられることもなく、さも「悲しい」という即物的なタイトルへの阿りもない。
重層的で金管の特性を生かしつつ、弦楽が歌う。
ブルックナーの後ろ姿にマーラーの影が重なる。
後者と同時代に生き、互いに才能を認めていたにしろ、できあがってきた音楽には膨張してゆく弦楽器の嫋々とした旋律の流れよりも、むしろ柔らかなオーボエやクラリネットの艶のある音の滑らかな流れを感じさせる。
重層的に対位される弦楽と低音楽器群が不穏な翳りを纏いながら滔々と流れる。
ホルンの重奏から音楽はロンドに移る。
彼の真骨頂は、自分ではほとんどここで留め置くという意識が働かなかったのではないかと思うほど長く続く抒情の歌が何と言っても聴きものだろう。
ここでそれにあたるのは前半の『悲歌』の部分。
ボクの持っているエレジーという音楽のイメージよりも、この音楽には独特の重さがある。
誰が言ったか「日陰の大作曲家」。
後半の舞曲そのものにも、何か物狂おしい気分が潜んでいる。
管弦楽法の熟達は同時代の作曲家に劣後するものではない。
最後のドイツロマンティシズムの体現者であり、ドイツ的であることに異様に固執した。
構築し、堅牢な音構造に執着する。
なのにそこに歌がある。
頑迷なまでドイツ的。
それが彼を政治的な広告塔として利用することを思いつく輩の思いを受け容れてしまう隙にもなっている。
残念なことに彼の名は未だにその影響をぬぐい去ることができないでいる。
ズビン・メータがイスラエルフィルを振った演奏会でワグナーを演奏して物議を醸し出したのは30年ほど前だった。
時代は進んだようでも過去から完全に離れきってはいない。
まだわれわれが今いる場所は大戦の悲劇を大きなスパンで眺めるほど遠くに来たわけではないのだ。
『悲歌』の部分。残念ながら終わりの部分が切れてしまっている。
プフィッツナー:交響曲 第1番嬰ハ短調Op.36a/悲歌と輪舞Op.45/幻想曲Op.56
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: CPO
- 発売日: 1987/10/01
- メディア: CD
やっと咳が止まりました。
by Silvermac (2013-12-26 10:22)