亡き子を偲ぶ歌 [音楽]
亡き子を偲ぶ歌
第1曲 今、太陽は明るく昇ろうとしている
第2曲 今私には解るのだなぜそんな暗い炎を
第3曲 おまえたちのおかあさんが戸口から歩み入るとき
第4曲 私はよく考える子供らはただ散歩に出かけただけだと
第5曲 こんな酷い嵐の日には
フリードリヒ・リュッケルトをマーラーは良く作品に馴染ませる。
彼の音楽はテーマの詩を得た時、余りにも具体的で、想像の翼は広げることもできず打ちのめされる。
リュッケルトの詩には、とことんわかりやすさがあるけれど、訳詞にしてすら具体性がもたらす言葉と詩の力が削られることはない。
余りにも深い悲嘆の故か。
第1曲から第5曲の訳詞はかなりの精度でウィキペディア(Wikipedia)で見ることができます。
ボクは我が子を失った親の悲嘆から呪縛のように逃れられないこの歌が一瞬その広い世界をかいま見せる第5曲の歌を今のこの現代の社会の親子の関わりにも映し込むことができるようで息を呑むのです。
こんな嵐のような天候の中へ
私は決して子供たちを外に出したりはしない。
誰かが子供らを戸外へつれて行った。
私はそれに対して口出すことさえ許されなかった。
こんなに荒れ狂う天候の中へ
私は決して子供たちを戸外に送り出しはしない。
私は子供らが病気になりはしないかと心配だった。
今やそれはむなしい考えごとであった。
こんな恐ろしい天候の中へ
私は決して子供らを外へ出したりはしない。
私は子らが翌朝亡くなるのではと気がかりだった。
それは今や心配することさえなくなった。
こんな恐ろしい天候の中へ
私は決して子供らを戸外に送り出したりはしない。
誰かが子供らを戸外へ連れ出したのだ。
私はそれに対して口を挟むことさえ許されなかったのだ。
こんな荒れ狂う天候の中へ
こんな嵐の中へ
彼女らはまるで生家にいるかのように
もうどんな嵐も驚くことなく
神の手におおわれて
彼女らはまるで生家にいるかのように
嵐とは何でしょう?戸外とは何でしょう?送り出すのは酷いことでしょうか?家の中にしっかりと庇うことが母の愛でしょうか?
ここにある彼岸に対する考え方がボクには理解できません。
神の御許に行くことが幸せであるというのは人生をそれなりに苦楽として感じたものが抱ける感慨であり、神を心に抱く人にとって真実なのではないでしょうか。
子供はまだ、母親に父親に十分愛されるいとまはなかったのです。
これからだったと思うのです。
親が我が子を失う悲しみと、その子がそれを悲しみと感じられる年になる前に神の手に被われることの無惨さが胸を突きます。
- アーティスト: フェリアー(キャスリーン),マーラー,ワルター(ブルーノ),ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 1999/01/27
- メディア: CD
幸いというか不幸にしてと言うかボクはこの歌でこれ以上のアルトを知りません。
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