愉しくて… [音楽]
モーツアルト/ピアノソナタ第12番ヘ長調K.332
第1楽章 アレグロ
第2楽章 アダージオ
第3楽章 アッサイ・アレグロ
トルコ行進曲で有名になったピアノソナタ第11番と同年。
1783年にザルツブルクで作曲されたとされている。
こういう曲を聴いていると、モーツアルトという人の明朗さと屈託のなさが、素直に楽しさに結びついていて、音の楽しさがこうじゃなくちゃと思うほど自主性に溢れているのがわかる。
こういう音楽って、考えてみればモーツアルトで終わっちゃったんだね。
誰かのために書いても、自分のために書いても、モーツァルトは同じように楽しんだ。
そして、それは当時の大衆が音楽に求めるレベルト奇しくも一致していたのだろう。
それでも、こう書けばということがわかっていても、こんなに純粋には書けないものなのだろうと思ってしまう。
モーツァルト以後こんなに自然な音楽はプロフェッショナルによって書かれてはいない。
どこにもぎこちなさがなく、どこにも汗の匂いがしない。
無辜の楽しさが音楽から溢れ触れる者を微笑ませる。
モーツアルト自身もこの段階から更に高みに飛翔し、創造の苦悩の中に魂を削ることになるのだろうけど、少なくとも、トルコ行進曲が受け入れられたの時代、これを越える音の楽しみはなかった。
第1楽章のソナタ形式は、左手の動きについて右手が弾んでついてゆく。リズミカルで小さな少女がおぼえたてのスキップを母親に見せているようなほほえましさ。 『元気いっぱい』という無邪気さが走ってゆく。
第2楽章の美しさは何という優しさの溢れた中にあるのだろう。
脳天気なメロディの美しさではなく、影もあり、日向もあるのだけれど、これはモーツァルト以外には書けない自然な、破綻も、詰まりも何もない美しい数分ですね。例によって左手のアルベルティ・バスの上で右手がロマンティックな階をのぼる。
ソプラノが歌うような愛らしさが随所に細かい装飾になっていて印象が優雅です。
第3楽章の『あー愉しかった。もうおしまいだよ』とでもいっているような早いパッセージに1日の終わりに駆け出してゆく無邪気さが追いかける大人の方を向いて一直線に家路を辿りながらちょっと片目をつむってみせる。
11番のようにはあまり目だたないけれど、何度も聴いてしまう曲です。
モーツァルト : ピアノ・ソナタ第11番イ長調「トルコ行進曲付」第12番
- アーティスト: 内田光子,モーツァルト
- 出版社/メーカー: マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
- 発売日: 1993/09/05
- メディア: CD
モーツァルト:ピアノ・ソナタ集第3巻(第8,10,12,13番)(紙ジャケット仕様)
- アーティスト: グールド(グレン),モーツァルト
- 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
- 発売日: 2007/10/24
- メディア: CD
バックハウス/モーツァルトリサイタル:ピアノソナタ第12番 他
- アーティスト: バックハウス(ヴィルヘルム),モーツァルト
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2001/04/25
- メディア: CD
★★★ このアーカイブはモーツアルト演奏史上非常に重要なものであると、ボクは確信しています。
詳しくないので、素人ですが。。
モーツァルトのCDにリラックス効果があると
言われているので買って聞いてました
きっと、この中にあるはず・・・
by ピロシキ (2008-11-12 18:02)