踏み越えて行く理知 [音楽]
バルトーク/弦楽四重奏曲第1番op.17、Sz.40
第1楽章 レント
第2楽章 ポコ ア ポコ アチェレランド-アレグレット
第3楽章 アレグロ ヴィヴァーチェ
第1楽章最初の3小節に12音全ての音が使われている。シェーンベルクがそれを確立するのは後のことだ。
恋人シュティフィ・ガイア(ゲイエル)に対する生きながらの葬送音楽。
不安定で危険な自殺願望と危ういタイトロープの上の恋。
結局バルトークはガイアとは結ばれず、マルタという女性と結婚するのだけれど、音楽は安定よりも不安定の中で創造され、精神の活性はその失われつつある情熱の対象を想像の糧とする。
冒頭の2つのヴァイオリンが奏でる短く穏やかで悲しげなカノン。
バルトークの立ち位置は形式の踏襲と音楽技法の個性的展開との結合という点からは新古典主義の中に入れるべきだろう。
そういう括りが必要ならばの話だけれど、ボクにはこの曲がベートーヴェンの後期のレントやアダージオの内省性を敷衍し、音楽的に止揚しているものであると言い切るほどの専門的知識はないけれど、何となく、同じ匂いを嗅ぐ。
バルトークの音楽性はベートーヴェンやシューベルト以来あまり近づかなかったこの音楽領域に久々自力でピッケルを打ち付け、登り詰めている。
第2楽章の抒情と新たな弦楽アンサンブルの均衡。
チェロが持つくぐもった音階をリードするヴァイオリンのあくまで抑制され、均等に掘られた水路を流れる水のような音が導いて行く。その音の紡ぎの緻密さと限りなく結びつながって行く切れ目のない線のようなリリシズム。
うつむいてその後を辿っていると不意に音楽は日向の明るさへ開かれたドアに突き当たる。
第3楽章はアレグロの序奏を持つアレグロ。
全くこの曲は弾くものの息と緊張の糸を張りっぱなしに進んで行く。
ソナタ形式のような変奏曲。
特徴的でそれ自体民族舞踊のようなシンコぺーション。
ドビュッシーが机を叩いて悔しがりそうな変拍子。
これは決して理性的で分析的な音楽ではなく、十分に音楽の各部分に血の管が通っている。
似たような曲を小手先で作曲することはコロンブスの卵的には可能だろうけれど、これを踏み越えてさらに高みへ登ったものは他ならぬバルトークのみである。
素晴らしい演奏が沢山ある。
ここでは乾いた理知の勝った演奏ではなく、ハンガリーSQの流れを汲むバルトークSQの演奏で第1楽章を
ゴメンなされ。画面は真っ黒のままです。絵がありませぬ。
- アーティスト: Andras Fejer,Bela Bartok,Takacs String Quartet,Roger Tapping,Edward Dusinberre,Karoly Schranz
- 出版社/メーカー: Decca
- 発売日: 1998/01/13
- メディア: CD
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by uggsakura (2011-11-07 18:05)