フィット [音楽]
エックハルト・グラマッテ/ピアノソナタ第6番E. 130 "Drei Klavierstücke" (1951-52)
非常に客観的な音色を持っている。
サイボーグ型ピアニスト。
評され方はいくつかあるけれど、そのどれもがピアニストの現代的ソノリティを技術的な側面から評したもの。
マルク・アンドレ・アムラン
メトネルを弾いている彼に惹かれ、その外連味がなく、即物的な音色に魅せられた。
音質にブレがなく、乾いているのではなく、その音の芯に厚く柔軟な、層を持っている。
液体金属のピアニスト。
どちらかというと溢れんばかりのリリシズムに噎せ返るようなラフマニノフと異なり、抒情性を作風の確立に犠牲にしたメトネルの作品をマッシヴでアポロ的なピアニズムでその細部まで浮かび上がらせた能力に、以後様々な彼のレパートリーを聴いたけれど、やはりどちらかというと彼の得意とするところは近代以降に偏っている。
ただ、シューベルトの後期やベートーヴェンの後期のように近代的な響きの許容範囲の広い作品では驚くべき才を発揮する。
このエックハルト・グラマッテという女流ピアニストにしてヴァイオリニスト兼作曲家を知ったのは夫である画家ヴァルター・グラマッテが描いた妻の肖像画とアムランのピアノからでした。
S.C.エックハルト・グラマッテ。
本名ソーニャ・フリートマン=コチェフスカヤ。彼女の母はトルストイの子女の家庭教師であった。
ドイツ表現主義に分類される夫の描く彼女はシンプルで硬い意志的な表情をしている。彼女の作曲した6曲のピアノソナタはどれも難物であるが、第6番は比較的明確な目的性がある。
ドビュッシーの右手と左手、両手のエチュードを弾きこなしたあと、本番にという感じ。
第1楽章 左手だけのために プレスティッシモで非常に正確に
第2楽章 右手だけのために 陽気にそしてユーモアを籠めて
第3楽章 両手のために 非常に活き活きと鋭く
まさにうってつけの曲。
作曲者とピアニストのシルエットが隙間なく重なっている。
音に籠めた思索的な間が必要な音楽ではない。
故国のストラヴィンスキーの流れをもち一度塗った筆はもとに返って塗り重ねられることはなく、その濃く鋭いタッチは作品と演奏にエッジがぴったりと一致して際立つ。
荒れ狂う抽象性の奔流はなく、やはり女性的な、しかし鋼の毛先の繊細さを持つ。
まさに過去のではなく、現代で評価されるべき現代の音楽である。
全曲が入っています。 いいのかなぁ………
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