知のソナタ [音楽]
ウィルヘルム ステンハマル/ピアノ・ソナタ第3番変イ長調 Op.12
第1楽章 アレグロ
第2楽章 アダージオ・グラツィオーソ
第3楽章 プレスト マルカート
第4楽章 フィナーレ:ロンド:アレグレット
ステンハマルの初期はシンフォニーを紹介したときにも書いたけれど、まだ、シベリウスやニールセンとの交遊は始まっておらず、国民楽派というよりもむしろベートーヴェンやブラームスやワグナーなんかの影響を受けた作品が多い。
ステンハマルは4曲のピアノ奏鳴曲を残しているが、作品番号が付いているのはこの第3番と第4番である。
シベリウスにも言えるのだけれど、スウェーデンやフィンランドやノルウェーの作曲家の持っている個性的な空気感は響きの透明性に大きく左右される部分がある。
これは聴く側の先入観が大きいと思うのだけれど、そのイメージの浸透力はなかなかに厄介で払拭できない。
最近ジジイになって体は硬くなってきたが、耳だけは柔らかくなってきているようで、払拭しようなどと言う無駄など力はせず、入ってきた音楽を素直に楽しむことにしている。
モデラート、クアジ アンダンテの最初のドルチェ個々にはベートーヴェンの最良の理解がある。
多くの作曲家がベートーヴェンの到達点から自分を引っ張り上げようとするのに対し、ステンハマーはベートーヴェンのキャリアから自分の今にふさわしいものにシンクロしている。
それを濁りのない響きで伝えるための控えめのペダルと鳴りきった和音の鋭さが求められる。
シューベルトのソナタが、同じようなところから希有の歌を載せて世界を広げたように。
この第1楽章の親密でありながら、いつでも目を閉じれば心の深みに潜れるような明るさの中にある影が様々な濃さで塗られた同じ筆致の絵を降らせる。
彼のスタンスはやはり後期ロマン派なんだろうね。
出も続くアダージオ・グラツィオーソのなかのモルトヴィヴァーチェの部分の音の動きは初期から晩年に至るボンの巨匠のピアノによく聴かれたものであり、それはいつもフーガの入り口に導くものだったりした。
ステンハマルの意識はそこまで試しに行かないけれど、第3楽章に入ってからの疾走し始める音楽のなかに当時はもう失われかけていたピアノが奏でる舞踏の残影が色濃く立ち現れる。
もっと鋭く、マルカートに!これはピアニストの冒険ですぞ。
第4楽章はこぢんまりしているけれど、音楽はよく整理されていてヒンヤリとしている。
フォルテの中にある明晰な濁りのない打鍵がこの作曲家の理知的な部分を際立たせる。
第4番も素晴らしいがこれはこれなりに素敵な音楽です。
こんなに難しい譜面読めませんけど耳コピーでなら…
by PopLife (2012-06-11 18:42)
Mineosaurusさん、4000nice!のぽちっと
ありがとうございました^^
今後ともよろしくお願いします\(^o^)/
by nana_hyr (2012-06-12 11:38)