Blogの中の猫たち--169 [Blogの中の猫]
つげまる日記
hiro さんちのつげまる君
ブログのサブタイトルが『つげまるの成長日記』とあるだけに写真が豊富にある。
どれを狙ってもデッサンは採れるのだけど、あまりに嵌りすぎて描き始めてから迷うという本業の古生物では絶対にやらない気移りを何度かやらかした。
可愛いね。
綿棒で遊んでるところとか動的にもよく撮れていて迷ったけれど、かなり以前の写真をデッサンさせていただいた。
視点がぶれずに上手く目線を固定出来たけれど、茶トラ猫は黄色から焦げ茶まで光の強さで移るので、何処にポイントを置くか迷う。
ほとんど影を取っておいて日向の色彩で縞模様を入れ、そこから写真を見ながら影の部分の模様を潰して行く。
初めから潰して描けばいいのだろうけれど、そこに存在したものの質量が上手く出ない。
これをやると何故か全体の線が荒くなる。
多分、これ以上時間をかけられないと言うリミットを自分なりに決めているからだろうね。
本業は最近昼間が忙しくてクリーニングしてロイヤリティを頂くものが多いけれど、「ここまでしなければ」という義務感が出るものだけど、
ブログ猫はあくまでも趣味だから気楽なのですね。
まあ、ちょっと気に入ってます。
どんなものでしょうか。
音楽は最近ずっと聴いているゲオルギー・カトゥアールというロシア人の作曲家のピアノ曲。室内楽などはまるでフランス音楽のような繊細さがある。ジャン・カトゥアールというフランス読みが似合っている。
感じは歌いすぎのフォーレ。あるいは水洗いをやりすぎたスクリャービン。
でも、清冽な抒情はそれなりに滲みる。
以前紹介した4つの小品作品12の第2曲『瞑想』
ちょっとスクリアビン寄りの作品だけれど、神秘主義的なところはなくて、その意味ではショパンの影響を受けていた初期のスクリアビンみたいだとも言える。
彼の室内楽とは違ってこちらはゲオルギー・カトゥアールという名前が似合う。