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煤と膠と香料と [音楽]

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ベートーヴェン/ピアノソナタ第32番ハ短調op..111

第1楽章 マエストーソ  アレグロ コン ブリオ エド アパッシオナート

第2楽章 アリエッタ .アダージオ モルト,センプリーチェ エ カンタービレ

何度聴いても掴みどころがなくて、水の底が見えてるはずなのに覗きこむと蒼く澄んだ水の底は息を止めていられる間にはとても届かない。
すべてが濃く粘着力のある煤のような、指先についたが最後容易に洗い流せない個性が到達した音化した情熱の最終形態。
その意志の濃さと有機的に結びつく精神の浄化。
極めて個人的で主観的な音楽の自由が白い和紙の上に墨痕として太く残ってゆくその筆跡は普遍的である。
第1楽章は作品57で閉じたはずの高度で技術的な攻撃性と荒々しさが太い筆致を残す。
ペンよりも先に頭で鳴っている音楽が突っ走りながらも、短いコーダには滲むように第2楽章を予感させてゆくあたりは、怜悧な設計を感じさせる。
どこに向かって収斂させるべきか、ハ短調からハ長調への道筋に明確さが見える。
第1楽章はこれに続く主題と5つの変奏が最も映える形で消えるように閉じる。
第2楽章は第1楽章で描いたコーダの残像が耳に残る間に滲むような波紋の中から揺れるように歌われて立ち上がる。
変奏の中にこれほどの深い内省が覗ける音楽はあまりない。
主題と変奏のバランスや技術的な処理などというものではない。
煤はもう燃え尽きた煤ではなく、膠で練固められた表現のための精神的な塊である。
そこから『フランツくん君はここにいるよ』とでも言っているような、つぶやくような厳しい叙情があったりする。
そして、何度聴いてもその歌の無比な高さの中に転調されて弾ける即興性を感じさせてやまない間奏。
短いがここだけ取り出せば、それは伝統音楽の中に不意に降りてきたラグタイムのようであり、驚くほど近くにジャズのイデオムが聴き取れないか。

ピアノ・ソナタという楷書から引き出された2楽章の行書。
煤と膠はそこに加えられた香気によって深い墨痕を心に残す。
様々に語られるベートーヴェンの姿はボクの中ではどうしても彼の後期の作品と結びつかない。
何度も繰り返して聴くほどに、ベートーヴェンという名はボクの耳から抜け落ちてゆく。
他にどんな聴き方をすればいいのだろう。

ふと気が付くと、もうこの作品を聴くような季節になったのだなあと思った。

様々な演奏があるけれど、現代の方から遡る演奏。少し墨が薄いけれどね。第2楽章を


 ブラームスもそろそろいいかなあと…思ったりする。

Beethoven: Piano Sonata No.32

Beethoven: Piano Sonata No.32

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Decca Special Imports
  • 発売日: 1999/05/24
  • メディア: CD

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集[4] 第21番《ワルトシュタイン》/第27番/第32番

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集[4] 第21番《ワルトシュタイン》/第27番/第32番

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: 日本コロムビア
  • 発売日: 2014/11/26
  • メディア: CD

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集 Vol.7(第30~32番)(紙ジャケット仕様)

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集 Vol.7(第30~32番)(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト: グールド(グレン),ベートーヴェン
  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
  • 発売日: 2007/09/19
  • メディア: CD


ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 作品111

ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 作品111

  • アーティスト: グルダ(フリードリヒ),ベートーヴェン,シューマン
  • 出版社/メーカー: マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 1999/02/17
  • メディア: CD


ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番&第32番

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番&第32番

  • アーティスト: ポリーニ(マウリツィオ),ベートーヴェン
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2002/10/09
  • メディア: CD













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Blogの中の猫たち-184 [Blogの中の猫]


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ネコのように生きる

  にゃんさんちの『アカニャ』


タイのバンコク在住の方らしい。
サブタイトルを見るとご本人は猫顔らしいのだが、ネコ顔ってどのへんのことを言うのかな。
まあ、飼い主さんのご尊顔は配したことないからなんともいえませぬ。
このスコティッシュは『アカニャ』君というそうです。
とても凛々しいスコさんです。

SHIMAさんという母猫はグレイが勝った縞猫さんで第2子が今回の『アカニャン』らしい。
おばあさんがミューというスコさんで生後23日辺りまで『アカニャン』くんの面倒を見てた?
うう…わからなくなった。
『チャニャ』は誰の4男か?スケッチしてるんだけど、どうも気になる。
そもそも、『アカニャン』は正式な名前なのか赤ちゃん猫のことだったりして、そうすると『チャニャ』と言うのは茶色いにゃんこという意味か?
まあ、とにかく、このスコにゃんは綺麗で素敵な眼の色をしています。

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写真があまり大きくないので角があまりないスコさんはポイントをいくつも作れない。
ボクのやり方は古生物を骨格から描く方法の応用なのでなかなか丸顔のネコっていうのは描きにくいものです。
まあ、とりあえず、こんなものです。

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体色は例によって写真の明度や彩度に影響されるので眼の色を中心に補正します。
今回は自然な色合いに彩色したら他の体毛の色が少し薄くなったかもしれない。


[るんるん] 音楽はヤナーチェクのピアノ曲 霧の中で JW Ⅷ/22

1912年に作曲されている。
彼のピアノ曲には民族色よりも練り上げられた洗練と古典の融合があり、上品な叙情性がある。
この作品は表題の状況が印象的なタッチで書き込まれているけれど、心理的な迷いや、動揺が自然の描写の形をとって描かれていて
作曲家としてのペンをどこで置くべきかこの頃から思いつめているような気もする。
組曲On the Overgrown Path 『草陰の小径にて』の描写音楽をもっと精神的なところまで掘り下げている。

美しくて不可思議。ネコみたい。
YouTubeでは4曲を2つのパートに分けている。前半に1・2曲が 後半に3・4曲目が入っている。

第1曲 アンダンテ
第2曲 モルト アダージォ



第3曲 アンダンティーノ
第4曲 プレスト










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キルトとラッキョウの花 [地方地域情報]

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ボクの住む街で冬の寒さをはっきり感じたのは11月12日だった。
それでも山々の木々は余程の高山でなくては紅葉の気配はない。
金曜日に四万十市方面に行く予定があって、その途中の入野というところにある砂浜美術館に行った。
去年も行ったが今年ほど寒くはなかった。
砂浜美術館という美術館が建ってるわけではなくて、展示物が戸外に設定されるイベント名である。
有名なのは夏のTシャツアート展だろうか。
大方入野の白い砂浜におびただしいオリジナルのプリントが施されたTシャツが浜風にはためき壮観です。
その砂浜美術館。
今の時期はキルト展というのがあり、趣味人が制作したキルトが美術館の壁ではなく、松林に大小等間隔で展示されています。

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細い砂地の道の後ろには砂地に植えられたらっきょう畑が広がっており、11月初旬から薄紫色の花が満開でとてもきれいな(ハズ)なのです。
今年は残念ながら例年よりはるかに遅れて襲来した2つの台風のお陰で花期が不順でまばらな花が申し訳無さそうでした。


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それに当日の風の寒さ!
早々に退散しました。
14・15・16日の3日間だけの展示で終わるのですが、日曜日はまだ穏やかな陽射しがあったとのことでした。
でも、キルトは綺麗でした。
小さいものも畳一畳ほどの寸法のものも作者の集中と根気と熱意が自分の定めたテーマに一直線で気持ちがいい。
そりゃそうだよね。筆でぼかすことはできない。色はすべて布やイトの緻密で根気がいる自力の作業の上に成り立っている。
ジジイには到底出来ないやね。
ただ、ただ寒さに肩に力を入れたまま見とれてきた。

来年はもう少し暖かいといいのだけれど。

協力金として中学生校以上の観覧者は300円必要。これはこの浜辺の重要な環境のひとつである松林保全のための基金に当てられる。

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経年の結晶 [音楽]

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ブラームス/ピアノ四重奏曲第3番ハ短調op.60


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第1楽章 アレグロ  マ ノントロッポ
第2楽章 スケルツォ: アレグロ
第3楽章 アンダンテ
第4楽章 フィナーレ:アレグロ コモド

ブラームスのピアノは独奏で聴く時とアンサンブルの中に入った時とではその役割を緻密に計算されているだけ渋くくすんだ音色が弦楽の醸す多彩に融和して全く別の魅力を発揮する。
この第3番のピアノ・クアルテットは元々第1番や第2番に先駆けて作曲された嬰ハ短調の作品を生来の慎重居士であったブラームスの性格が推敲の果てに作曲から20年を経て改定されて世に出たものだ。
初演はブラームスのピアノとヘルメスベルガー四重奏団のメンバーで行われており、そのメンバーの中では特に名を馳せたチェリスト、ダーヴィド・ポッパー(あんまり聴かれないけれど、ボクはこのチェリストの第2チェロ協奏曲がとても好きなのです。)のパートに非常に大きな役割を与えている。
特に第3楽章の幅の広い豊かな歌はそのチェロの歌なしには成り立たない。
ピアノの第一音から第1主題は上昇することなく、痛切で陰鬱。
死を悼む」調べのような弦楽のトリオにピアノのc音が重なる。
ここから体力勝負のようなパテティック主題が展開されたあと、ピアノの歌う歌にあわせて雲間から光が指すように細かく弾かれる弦楽のまとまりにはベートーヴェンの第7交響曲のリズムが記憶の頭をもたげる。
しかし畳みかけるピアノとアンサンブルの隙間は詰まっていてロマンティックな熱気は内圧を高めながら情熱は逃げ場のない密封状態で自ら焦げ付くまで高まる。
各主題をつなぐ4つの変奏がブラームスの堅牢なロマンティシズムを緩やかに冷却し穏やかに深呼吸をさせる。
聴きようによってはとても耐えられない痛みを伴った葬送の音楽のようにも聴こえる。
第2楽章のスケルツォはスラビックなダンス音楽の原型を保っていてステップやしなやかに回る体の流れをイメージさせる。
でも、それは第1楽章に不要な葬送のイメージを持ってしまうと、横たわる冷えきった青年の屍の周りで踊る死の舞のようにも聞こえてしまう。
要するにその暗さをたたえた音楽であることはロマンティックであることと同じレベルの物語性を持っている。
20年かかった完成までのきっかけと、きっかけから純粋な音楽的完成にこぎつけた時間の中に流れたものは明から暗までの朱夏から白秋までのブラームス自身の心の有り様を指しているのかもしれない。。
その第2楽章があってこその第3楽章のアンダンテ。
この音楽は素晴らしいよ。
ボクのチェロ好きが余計にそう思わせるのだろうけど、ホ長調の瞑想的なチェロの旋律はブラームスのチェロを扱った音楽で白眉だね。
YouTubeの中で3楽章だけ観ることができる。
ゴーティエ・カピュソンの陶然たる表情が込めた感情がどのへんの空間にあるかわかるような気がしてつい見とれてしまった。
ヨーヨーマもこういった表情をするけれど、正直このアントニオ・バンデラスに貴腐ワインを飲ませたようなお兄さんの表情には勝てないね。
頭ははげちゃってるけど、ヴァオリンはサルバトーレ・アッカルドらしい。
ピアノはメナヘム・プレスラー。
この人はピアノトリオが長かった人でとても素晴らしい。
渋いアンサンブルが弱音になった時、軽々と底から浮き上がってくる音色が絶妙の呼吸ですね。
ヴィオラは…わかんないな。
でもアッカルドのパートに重なってくときの微妙な音色のやりとりは緻密で素晴らしい、チェロが音を聞きながらそこをヴィオラが抜けてくるコーダ近くの部分はほんとうに美しい。交響曲第1番のヴァイオリンと同じ手法ですね。
画像が見えるってことは以前ほど文章で音楽を聞かそうという力味がなくなったと自分では思うけど、余計な想像が羽ばたいてしょうがない。
えーと、そうそう第4楽章もエネルギッシュなんだけれどピアノのなんていうか弦楽器で言う無窮動的なリードに合わせてヴァイオリンが歌い上げながら高まってゆく時にピアノに現れてくる音形はベートーヴェンのいわゆる運命のリズム。
経過部で明確にそのリズムが総奏され、ブラームス特有の憂いのアレグロに加わるベートーヴェン的ベクトルが説得力の大半を占めています。
まるで合作のような…


それぞれの楽章が魅力的で複雑ですが、ここは出色のこの方たちの一期一会を

第2楽章 アンダンテ

ブラームス:ピアノ五重奏曲、ピアノ四重奏曲第3番

ブラームス:ピアノ五重奏曲、ピアノ四重奏曲第3番

  • アーティスト: ブラームス
  • 出版社/メーカー: 日本コロムビア
  • 発売日: 2013/06/05
  • メディア: CD

ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番、第2番、第3番

ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番、第2番、第3番

  • アーティスト: バリリ四重奏団,ブラームス,デムス(イェルク)
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2007/12/19
  • メディア: CD


Brahms: Piano Quartet No. 3. Schumann: Piano Quart

Brahms: Piano Quartet No. 3. Schumann: Piano Quart

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Decca
  • 発売日: 2014/06/03
  • メディア: CD

ブラームス:ピアノ四重奏曲第1

ブラームス:ピアノ四重奏曲第1

  • アーティスト: ブラームス,ギレリス(エミール),アマデウス弦楽四重奏団員
  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 1996/10/02
  • メディア: CD






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音の音詩 [音楽]

いやあ、久しぶりに暇ができたんだけど、アップロードを失敗して一度削除してしまった。
先に下書き用にしとかないとダメなんだね。しばらくやらなかったらジジイの記憶力は恐竜並だな。[あせあせ(飛び散る汗)]リハビリ、リハビリ。


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イザイ/詩曲 悲劇的詩曲 op.12


彼の代表的な作品はあまりにも高度な技術的ゆとりを必要とするが故に演奏される機会が極めて少ないが故に、イザイ自身の演奏を超えるものはいまだに聴いたことがない。
彼のバッハを強く意識した無伴奏はいくつか紹介したことがあるし、子守唄なんかも取り上げたことがある。
素直に凄いと思ったり、リリカルに感じたもの。
でも、この作品は、何度か紹介しようとして書きかけてはやめにしていた。
正直、「さあ、書こう」と思ってヘッドフォンで流しながらキーを叩こうとするたび聞き流していた部分に深い呼吸の闇に気づいたりして「ありゃ?」ってなもんで、このへんからと思っていた切り口がブレる。
で、「今度にしよう…」とか考えながらこの前も古代の巨大ナマケモノの骨格の形成に時間を割いていてすっかり忘れていた。
今聴き直しても、難物である。
それは難解であるということではない。
晦渋であるということでもないと思っている。
でも美しいかというとそうではない。
この作品は彼の中にある情熱を悲劇的なテーマに乗せてヴァイオリンの音色が醸す繊細な音詩の中に織り込んでゆく。
その作業が詩的な、例えば白紙に書かれたれた『涙』という文字の前後左右には見ることができないけれど、音の中には『涙』の前に滲んで広がるそれ以前の音の残り香と
『…だ』に続く歌の響きが流れる。
そこに演奏者のその部分に寄せる思い入れが様々な聴き手の好き嫌いに反映する。そういう要素もある。
『詩的な』という言葉には短い言葉の繋がりによって感じる形と言葉が抜けた後に残る表現の穴に流れ込む行間のニュアンスにある気品や香気を意識した意味が間違いなくある。
表現が消費する時間の長さがその詩的な時間であると。
擦過音による弦楽器は比較的容易なのかもしれない。(ぶん殴られるかなあ容易なんていうと。)
例えばギターなんかではどうか、弦にはメーカーによって弾いた時の音色や、豊麗な響きや、音の太さ細さがあるのはわかる。
その素の特徴と楽曲の特徴、音の間をそれぞれの楽曲にあった使い方をし、弾き方をするまだ先に解釈ってのがあるね。
これは特徴は違ってもすべての弦楽器にもあるし、楽器自体の個性にもある。
ボクはギターを弾く友達はいるけれど、自分自身はコードとアルペシオで伴奏するくらいしかできないので。
技術の高さと表現力の高さが未聴の高さで結びついた演奏を聞いたことがない。
とても可能性が広い楽器だけれど、ボクにはその一部分すら掘り下げる時間がない。ちょっと悔しいけどね。
話がいつもどうりそれた。
イザイのこの作品は
ロマンティックで情熱的なテーマを繰り返してゆく幻想曲形式を取る。
元々オーケストラとヴァイオリンのための作品なのでピアノの表現力はオケを凌駕する音域の中でとても気を使う色彩感覚をもってサポートする必要がある。
伴奏に終始するとこの曲の技術が鼻につく。
でも、このレベルの演奏は本当の楽曲の魅力を聴かせてくれる。
悲劇的というよりも、一度そういう思いをに飲み込んだ後の挽歌を聴いているように感じる。
セピア色に褪せた昔の手紙が端から炎をまとって捲れてゆく。
その炎の色は燃えているかどうか一見わからないほど紙の色に似ていてただ、文字を焦がしてゆく焦げ茶色の縞の広がりで燃えているのがわかる。
テーマはそんなイメージをボクに与える。

その手紙の内容はわからないけれど。


イザイ:ヴァイオリンと管弦楽のための作品集 (Ysaye: Works for Violin & Orchestra)

イザイ:ヴァイオリンと管弦楽のための作品集 (Ysaye: Works for Violin & Orchestra)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: CPO (ヴァイオリンとピアノ版ではありませんが)
  • 発売日: 2006/04/01
  • メディア: CD









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Blogの中の猫たち-183 [Blogの中の猫]

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にゃんこらしょっと

にゃにゃワンさんちの
サンタくん

サンタは三太か?


最近サボリ気味ですが、高齢化のトバ口に立って気力とか色んなモノが萎え始めている。
かちょっと疲れが取れなくてこの間の18号台風の時に施設に泊まりこんだ時に風邪を惹いたのがずっと尾を引いている。
医者でもらう風邪薬が体に合わないのと、季節に変わり目で若い時には無視していた微妙な体調の調整がうまくいかないのかもしれない。
2日間寝込んだけれど、少しは体が軽くなったか。
久しぶりの更新をとキーを叩いている。
春の歌舞伎見物も今年は記事にしないまま放ったらかしにしていた。
その頃かもっと後だったか、デッサンしていた猫くんがいたので、仕上げてみた。
この飼い主さんのところには1匹のワンちゃんと4匹の猫さんがいるが、サンタくんは柄行がユニークなのでちょっときになってはいた。
基本はラグドールのようででも目は日本猫の淡い緑。
あともう少しで眠ってしまう目つきが可愛い。

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どこを凝視しているのでもなく、うつろさが時間軸の振れに合わせてゆっくりと左右に振れる。
元の写真が小さかったのだけど、トーンカーヴを調整して瞳の中を覗きこんだら、
彼の瞳はまさに意思が瞼の重さに耐え切れる限界にあってナイスショットの写真でありました。
大きくしたらこのようなものでしょうか。

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音楽はご存知モーツァルトのK350 Wiegenlied(子守唄)
でも、この音楽は幼子の眠るあどけなさを音楽で表現した作品で決して子供そのものを目にした霊感ではないとボクには思える。
穏やかで優しくて素晴らしいララバイだけれど、洗練されていて磨かれている。
こういうのがそのまんま出てくるところが彼の凄いところだけれど、


子守唄はボクはブラームスが好きだな。
ね、音の背後に立ち上がってくる眠りについた乳飲み子のもくもくする口元の愛らしさがうかんでこない?
モーツァルトは子守唄を書いてブラームスは眠ってる子供の姿を書いている。
子供の呼吸って早いからそのリズムが音楽の中に違和感なく入ってる。だからこの曲はハミングで十分に効果があるララバイなのです。






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音楽が考えさせてくれること。 [音楽]

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J.S.バッハ/ゴールドベルク変奏曲 BWV988 弦楽トリオによる

BWV988はすべての和声を3つの弦楽に委ねている。
ハープシコードでつくられた音楽であったなら、編曲の発想はあってもおかしくはない。
実際にバッハは他の作曲家の作品も含めて編曲にも稀類ない才能を発揮していた。
以前弦楽のアンサンブルで聴いたことがある。
そう思ってYouTubeを探したが、ボクの聴いたのと同じかどうかは知らぬが、イメージしたものが聴けた。
その演奏は現代にあって飽和した音響の中から生み出されたように思うけれど、その音色は限りなくバロックである。

現代のフォルテピアノで聴き慣れた音楽はクラシックという名でまとめられた伝統音楽にもう一度姿を変える。
アリアの美しさはいつもの密度の濃い硬質の音塊から届くものでなく、ヴァイオリンの弓に張られたヘアが触れる弦の細微の音色が束になる。
その一様でない音塊は縦の深みではなく、空間に横に広がってゆく。
ボクの耳はその一部分しか捉えられない中途半端なものだけれど、それでも引き出されてくる音楽は華やかである。
でも、その演奏は以前聴いた時に覚えた楽器が多くなるほど、薄くなってくるような印象は払拭してはくれなかった。
それとは異なる、ここで紹介した演奏は未だに作曲された時代の様式の中に作品の価値を見出そうとする人々にはどう聞こえるだろうか。
ハープシコードのためのこの楽曲をピアノで弾くことには苦々しくも妥協してくれはしても、弦楽合奏にまで許容の範囲を広げてくれるものかいささか疑問も持つ。
それでも、これは、この演奏は素晴らしい。
3つの楽器でグレン・グールドの霊感に寄り添うように解け合い、束ねあわされる和声。
彼らのアプローチはバロックの音色を越えて響く。
今井信子のヴィオラは燻された高音にストイックな陰りを加え、音楽の規則的なフォーマットを闊達に操るマイスキーのチェロ(彼の無伴奏よりいい。)の上をシュロモ・ミンツのヴァイオリンのような甘美な響きに、数滴の哀切を載せるジュリアン・ラクリンの音色が一期一会の精妙を聴かせる。
一瞬、シェーンベルクの作品を聴くときのヴァイオリンとヴィオラとチェロの僅かな距離のもつもどかしいような『かなしみ』を思い出させる。
アリアの孤独、ジーグの解けた心、ボクがグールドの後年の演奏に感じた微細から広さを感じた、作品そのものを超えたバッハの形をもう一度体感したような気持ちにさせた。
立て続けに3度ばかり通して聴いたが、その印象は変わらない。
今、4度目の最後のアリアがヴァイオリンによって歌い出され始めた。


この演奏はグレン・グールドを偲んで捧げられている。



Goldberg Variations - Arranged for String Trio

Goldberg Variations - Arranged for String Trio

  • アーティスト: Johann Sebastian Bach
  • 出版社/メーカー: Deutsche Grammophon
  • 発売日: 2007/04/10
  • メディア: CD






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古民家レストラン [地方地域情報]

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台風一過 行き着く暇もなくまたひとつ18号の後ろを追っかけてきているね。



先月の末
長女が帰郷した。
就活が一段落し、国土交通省に内定をもらったとのこと。
彼氏は薬草の研究で、本人は県職を狙っていたが、林野分野に野生動物とのかかわり合いありと、そのへんで初志貫徹しているようだ。
ちょっと眩しいね。
でも、あれだけはっきりモノ言う気の強い娘とよく付き合ってるもんだね。
彼氏にも大いに敬意を評したい。いや、ほんと。
帰郷に高知駅まで妻と迎えにゆき、高速に載る前に夕食を済ませることにした。
はじめてゆく場所だったが、妻は以前次女といったことがあったそうな。
『土佐水木』(とさみずき)という古民家を改造して離れ家をレストラン化している。
学芸高校のグラウンド側にあった。
妻が好みそうと言うよりはこりゃ、長女に合わせた趣味だね。
カメラの解像度が悪くて雰囲気しか伝わらんけれどご容赦。
ジジイは黒米のグラタンとノンアルコールビール。

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妻はなんたらラザニア。

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長女は釜飯風の土佐水木セット?よく覚えていないがまあ、写真のようなものだった。

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ボクのは『黒米』という食材に惹かれて注文したんだけれど、完全に洋風でモッツァレラが効いていて、濃厚だった。
ビールが欲しかったのだけど、飲んだのは妻だけ。
注文取りに来た割烹着のおねいさんがちょっと不思議な雰囲気でした。
レジは離れ家のは入り口にあってレストランから一旦外に出る。

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庭があって古民家の面影がよく残されているが、死ぬ気になったら『土塀を越えて食い逃げができそうだな』
などと不埒なことを考えながら、もちろん実行はしないけれど、おとなしく料金を支払った。
妻と娘がレジのショーケースを覗きこんで持ち帰りのスイーツを物色している間にボクはブリキの懐かしおもちゃ(非売品)を並べてある棚に見入っていた。

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ごちそうさま。

 追記 ちょっと感心したのはおしぼり。大きくて厚い。懐かしのおしぼりでした。漆喰と欄間の彫り物がなかなか風情をかもしてた。
ここのところ、マウスの調子が悪いのかあんぽんたんなマイクロソフトのMIEのせいで変換ができなくなり、しょうがなくGoogleのワープロを入れたのはいいけど、カーソルの動きが変になってコピペが面倒になった。
どないしょ。[あせあせ(飛び散る汗)]


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Blogの中の猫たち-182 [Blogの中の猫]

ハリネズミんちののほほんな毎日
ハリネズミさんちのステラくん


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目を閉じた猫というのはとても描きにくい。
最も特徴的な目が一本の曲線で終わる。
よほど特徴的なシーンであれば何とか描こうと思う。
今まで描いたものは確か2つか3つほどしかないと思う。
このステラくんは久しぶりの眠り猫である。
いやさ、『目を閉じた猫』と書かなければ身も蓋もない。
印象的な写真から自分の書きたいものを取り出すのは核になる物があるのが手っ取り早いのだけど、
猫が目を閉じると、突然不思議や謎が眠ってしまう。
それでも、このステラくんのポーズは眠り以外の想像をさせてくれるポーズでした。
なんというか、勝手にこちらが想像を加える事が出来そうなというか。

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無垢な眠りとも思えるし、目を閉じたばかりで、頭のなかに瞼が落ちる直前まであったステラくんが抱えている
日々の鬱屈(んなものがあるかどうか知らんけど…)やまだやり足りないことがあるのかもしれない。
にもかかわらず、心ならずも睡魔に負ける(ちょうど、あの幼い子供が遊び疲れて食事中に寝てしまうような)微笑ましさを含めた諸々を影や光で描きこんでゆく気持ちを持たせてくれる。
絵を鑑賞するのは、基本的にそれが具象であれ抽象であれ、多分にその人の感性の投影であるけれど、描き手と同じ感性の位置で観ることは稀である。
ボクが普段仕事として承知している古生物の画像はその多くが骨格からの形成と想像と現存生物への収斂の読み取りである。
多分に身勝手な想像である面を提供しているけれど、猫絵はそれとは違った楽しみを与えてくれる。

ステラくん…何考えてるんかね。
降り注ぐ光が暖かいのか、重いのか…ほんとに

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音楽は海軍都督ジャン・クラの『親密な詩』から。
第4番『熟考』飾りなく心だけが指を伴って音化してるモンポウの世界とは違って、ここにはまだ人の体温の生々しさがあり、作者の眉間の皺が想像できる。
それでも、綺麗とか簡潔とかいう表現に対する感想ではなく、描こうとするものに渦巻いている作曲者の内面が明確に打ち込まれている。
こういう音楽は聴くのに比べて弾く楽しみはあまりないのではないか…




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あっつーい渋茶でレーガーを [音楽]

マックス・レーガー/ピアノ五重奏曲ハ短調 1898年 遺作

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第1楽章 アジタート
第2楽章 インテルメッツォ:アンダンティーノ コン グラツィア
第3楽章 アダージオ コン ヴァリアツィオーニ.カンタービレ
第4楽章 プレスト(マ ノン タント-ァラ カプリース)


全23枚(だっけ?)のCDを購入し、いつでも聴ける態勢になった途端、なんとなく時間に押され、ぐずぐずと機会を延ばしていた
マックス・レーガーの室内楽全集だったけれど、まあ、考えてみれば(ちっとも考えてみたくなんかなかったけれど)ちょこちょこ気になる演奏はCDやテープのPCM録音で既聴してたわけで、
作品自体はほとんど聴いたことがあったことに気がついた。
老人性健忘症(アルツハイマーとは思いたくねえ)のなせる業だね。
ま、要するに衝動買いだったのだね。いつかの記事で書いた結論に間違いはなかった。
いや、自慢することはこれっぽっちもないね。

せっかく買ったんだからと、カタログにある作品をYouTubeで確認してから紹介することにした。
彼の弦楽四重奏とピアノのアンサンブルを採った五重奏曲は2曲あるが、よく演奏されるのはこの1898年の遺作のほうらしい。
第1楽章はかなり不機嫌なブラームス。
ちゃぶ台(んなものはなかったろうけど)をひっくり返しそうな勢いのアジタート。
どこかブラームスの第1シンフォニーや第1ピアノ協奏曲が聞こえてきそうな感じ。
とても渋いけれど、聴き込んでくるとやられそうな魅力はある。
彼のあまり多くないピアノ曲なんかを聴いているとご面相からは窺えないようなリリカルな一面も見え、それが重層的な弦楽の体位の中でシンフォニックな歌になって聞こえはじめると『こりゃ、凄いや』と素直に脱帽した。
ただ、ずっと思ってきたことだけど、彼の鍵盤楽器の弱音には自然に湧き上がるようなリリシズムがない。
完璧にコントロールされたパトスにすがり付いて這い上がってくる切なさが、ポイ…と投げ捨てられているようでいて、実はその音の重さ響きによってひずむ音空間のかすかな揺らぎまで書き込もうとしているかのように感じる。
重そうなんだけど、肌理があって聴くものに同化よりも客観性を強いる。
美しい音楽ではない。
だけど、美しさを求めずにすむ音楽です
第2楽章のピツィカートはシベリウスの少年期の無垢なリズムを思い出させた。
短いけれど、彼の感性が決して歌うことを捨てていないことを感じさせてくれる。
情景的な音楽である。
第3楽章はまさにレーガーの屈折した叙情がとても素直に歌になっている。変奏形式のやさしいドラマ。
渋ーいお茶でいただく虎屋かなんかの羊羹みたい。
いくつかの変奏が旋律の帯に当たる光をさまざまな濃さの色合いに染めてゆく。
単独で聴いてもあまり魅力的だとボクは思わないんだけど、才能にはちょっと鳥肌が立つ。
もっとピアノに切れがあればと感じてしまう。11分以上の音楽。長いけど、いろんな音楽が詰まっていて面白い。
第4楽章はこれだけ第1楽章から遠ざかってしまってどういう始末をつけるのかと、初めて聴いたときの記憶がまざまざと蘇った。
フーガの規則性を持ちつつ、気分的なうつろいが早く、ぼくのCDとおそらくは同じソースだろうけど、もう少し、各楽器の距離感が感じられる録音が出来ていればこの楽章が一番すばらしいと感じたかもしれない。

蒸し暑い時期にあまり聞きたいと思う音楽ではないが、聴けるということはもう直ぐ秋が来るのかも知れん。

Satz1 00.01
Satz2 12.28
Satz3 16.40
Satz4 27.58

T.T 34.59
 

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