Blogの中の猫たち-175 [Blogの中の猫]
しとろんの『お取寄せ』のーと
miel-et-citron さんちのミエルさん
デッサンしてから仕上げずにほかの仕事に忙殺されていたりするといつの間にやら件のネコさんの飼い主さんのブログが
引っ越してしまったり、更新を休んでいたりする。
それでも、こんなネコさんがいましたと僕なりにご紹介ができればと折角描きかけた画像は何とか仕上げています。
このブログはどうなのかなあ。
お休みしているだけだといいけれど。
このミエルさん。立耳のスコさんらしい。琥珀色のアーモンド・アイがなかなか難物です。
難しい色だねえ。なかなか生きない。ちょっと濃すぎると剥製のはめ込みのように見える。
『明日になったらうまく行くかもしれない』と趣味的な気楽さからうっちゃっておくと時がたち、慌てることになる。
この辺は写真のリアリティには歯が立たない。
でも、コレは最近思うのだけれど、古生物を描くについても、コレだけデジタル技術が進歩し、ボクの画像でも3Dで動かすことができるらしい。
一人の手で生み出す2Dのハンドドローイメージはもう役割が終わったのかなと思ったこともあるけれど、子供たちはそうは思ってないらしい。
絵の持つ近しいリアリティと3Dの精密なリアリティの間の距離感を彼らはボクたち大人より相当正確に区別している。
デジタルで生き生きと動く古生物の躍動を見るときの直接的な感覚と、ハンドドローの画像を捉える雰囲気を掴む感覚。
彼らの目は好奇と想像に満ちていてめまぐるしく変転する。
ボクがブログ猫を描く上で最も気を使っているところは抽象化しないこと。
描いたネコの出所がその飼い主にわかること。
個性の発露です。
そこは写真の世界ときわめて近接しているけれど、きわどいところで省略と要約を発揮しつつ提示できる世界だと思っています。
理屈っぽいなあ年取ると。
音楽は理屈抜きで。
伝説的ステージ
ターヤ・トールネンが去った後のこのグループの音楽はほとんど聴かなくなった。
これ以後のナイトウィッシュはボクにとってあまりにも単調な単なるゴシックロックになってしまった。
彼女の歌声のパワーと醸し出すクラシックな翳りは失われた。
久しぶりで聞いたけど、年甲斐もなく、まだいける。
何度目かのロック版 ”Phantom of the Opera”
作曲はSir.S.ロイド.ウェッバー。この怪異なオペラは作曲者自身と妻の私的な物語の投影であるといわれている。
そういう聴き方をするには劇場版の正統派の美しいハーモニーよりも情念の持つエネルギーを感じるこのバージョンがよりふさわしいように感じてしまう。