Blogの中の猫たち-166 [Blogの中の猫]
メタボの散歩道2
島猫さんちの銀次郎
『様』とか『君』とかで呼ぶのが憚られる。
硬派銀次郎。
いい名前です。眉間に深い皺を刻んで俯き加減で目を閉じていうる姿もよかった(寝てんじゃないか?とも思うけど)
差し込む日射しに明順応が遅れ気味の絵がまたよかった。
でも、目が開いてるともっといい。
そういう絵がこの銀ちゃんは極端に少ない。
この画像の元写真はおはなちゃんとのツーショットでしたが、目がとても気に入ったのでおはなちゃんをカットしちゃいました。
彼女にはまたの機会に登場していただきましょう。
銀次郎はほとんど寝てますね。
寝子=猫の本分を頑なに守って(単にグーたれているのか?)年を経た風格がありますね。
人間なら白髪交じりの角刈りで着流しのまま、縁側で片膝を立てて、じっと目を閉じている風のイメージが勝手にできあがっております。
銀ちゃん長生きしてね。
音楽はイタリアの絶対音楽作家。ジオゼッペ・マルトゥッチのノットゥルノNo.1作品70
この作曲家はイタリアの作曲家には本当に珍しく、オペラを一曲も書いていない。
ひたすら管弦楽を室内楽を器楽曲を書き続けた。
シンフォニストとしてかなり練り込んだ管弦楽法を獲得していて、トスカニーニが手勢のNBC交響楽団を振って彼の主要な作品の録音を録音に残している。
とても熱気の感じられる演奏がYouTubeでも聴ける。
交響曲やピアノ協奏曲4曲は既に紹介済みだけれど、ここではもう少し軽めの夜想曲の抒情を。
この曲は印象主義的な構成を持っている。
レスピーギが得意そうなレパートリーだけれど、よりシンフォニック。
ま、ちょっと我慢してお聴き下され。
- アーティスト: Giuseppe Martucci,Ottorino Respighi,Jésus López-Cobos,Brigitte Balleys,Lausanne Chamber Orchestra
- 出版社/メーカー: Claves
- メディア: CD
Blogの中の猫たち-165 [Blogの中の猫]
S&B Home
sakubiwaさんちの枇杷君
新年一匹目。
微妙だが三毛?オス猫なら非常に珍しい。
『オイラ』と自称しているところを見るとオスなんだろうし、この面構えの年の取り方も男の風格が漂っている。
二毛かとも思ったけれど、目尻の延長線上には少し回りより濃い縞が見える。
背中の黒。地色の白、縞柄の三毛。と四捨五入で言えるのではないか。
牛柄ではない。茶色の微妙なグラデーション。
明確に三毛といいきれないけれど、そう思った方が幸せが多い。
オスの三毛猫は幸運を運んでくる。
ちょっと、というか、下顎のたるみなんかは重量感があるね。
ドン・コルレオーネの風格がある。
モデルにした写真が少しセピアっぽかったのだけど、他の写真も結構そういった光加減で、自然光ではこうなるんだと、そのまま色を写した。
いつも言っているけれど、真っ白を描くには地色にしろは使えない。
ここでは写真の色をそのまま使った。
次は白猫か黒猫を描きたいと思っていたが、結局白でも黒でもないモデルを採用してしまった。
いつまでも元気で「オネエ」と一緒に。
音楽はグラズノフの弦楽四重奏のためノのヴェレッテ作品15から第2曲オリエンタル。
ノヴェレッテはまあ、『小品』程度の意味でしょうね。この人の音楽は意外と洗練されている。
ピアノ曲のあまり聴かれないけれど、夜想曲は素晴らしい詩的な音をもっている。
このノヴェレッテは、どことなく、ロシアと言うよりはリバーダンスのような乗りでいいね。
オリエンタルかというと『?』と感じるけれど、中間部のゆっくりした部分はそんな感じもする。
Blogの中の猫たち-164 [Blogの中の猫]
のん気にゃん
あずき さんちのビーちゃん
牛柄
アズキさんちには牛柄の猫たち3匹と黒猫が一匹住んでいる。
写真からはどこからが眉間で何処までが口なのかよくわからないソーヤ、ちょっと小さいチャミ、今回紹介するビータ(ビー太なのかも知れない。)そして黒猫のネネ。
性別はわからないけれど、何となくそうじゃないかなと思うのだけど、外れると失礼なので書かない。
チャミとビーちゃんはお顔の柄行が似ている。
Kontentenさんちのエル系の顔である。
ビーちゃんのは額の白の領域が大きくてその分目の切れ上がりが大きく見え、針目になったときは結構鋭い野性を感じる顔つきになるのではないかと想像する。
でもここで参考にしたのは写真画像が小さい上にストロボが瞳に跳ねていて緑色。
従って周囲の色がどういう色なのかが掴みにくい。
まあ、猫の牛柄系の瞳の色は大体同じなのだけど、そんなに深い緑ではないようで、平均的なところで妥協したけれど、間違ってたらゴメンナサイ。
何処かで寝っ転がっている。
多分ソファか何かに寝っ転がって寝ていたところ、飼い主さんが肉薄して写真を撮ろうとしたのかな。
フラッシュ・アイになっているけれど、黒目に変えたら少し咎めるような表情が出た。
音楽はエドゥアルド・グリーグの抒情小曲集から第1番アリエッタ2番子守歌第3番蝶々第4番孤独な旅人 鋼鉄のピアニストと呼ばれたギレリスの硬質のソノリティが、意外なほどこの北欧のリリカルな音楽によく合います。粗雑物のない透明な音の中で映える音楽です。
残念ながらソースが悪いのか高音の音がビビリます。
Grieg: Lyric Pieces / Emil Gilels
- アーティスト: Edvard Grieg,Emil Gilels
- 出版社/メーカー: Deutsche Grammophon
- 発売日: 2000/03/29
- メディア: CD
Grieg: Lyric Pieces for Piano (Dig)
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: Deutsche Gram France
- 発売日: 2006/08/08
- メディア: CD
Blogの中の猫たち-163 [Blogの中の猫]
CHOCOHOLIC
minmin さんちの『きなこ』さん。
茶トラ系
チョコホリックというタイトルは白玉汁粉が出てくるように別にチョコを食することに熱中しているのではなくて『きなこ』さんに先住するワンちゃんへの熱なんでしょうね。
飼い主さんの愛情を一身に受けていたはずなので、後から出現した『きなこ』には心穏やかならぬものがあるかも知れない。
そこはしかし、社会性の動物だから、自我の固まりのような猫属相手にも協調するところはしているようです。大人だね。
ところで肝心の猫さんの方だけど、なかなかクッキリした顔立ちで、目も円ら。
10月の初め頃の記事だったか、きなこさんが固まっている記事があった。
ハムスターみたいに固まるみたいだけど、叩かれた後の目線がおかしかった。
戻ってきた瞬間て言うか、我に返った瞬間がね。
ところでこの猫ちゃんはもう、描こうと思ってたポーズが決まってて、何度かデッサンし直したけれど、線を決めてからは早かった。
さび系と違って基本的には黄茶の濃淡で押し切れる。
でも、いつもいい訳として書くことだけど、室内の光の色や体毛の白のバランスから本当の生の色はわからない。
古生物なら現在の動物の体色のイメージを使うンだけどね。
例えば今のタイトルバックの古代の大魚クシファクティヌスの体色はマヒマヒ(シイラ)のオスの体色を意識している。
白は純白ではない。純白のイメージを作るにはそこに白に近い灰色やクロームイエローや様々な混色が必要になる。
その中に純白が混ざることで白が浮き立つ。
当たり前だけどね。白のキャンバスに白い雪は描けないからね。
ボクはこの『きなこ』のポーズが気に入っています。
音楽はモーツァルト ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調K333から第3楽章を
グルダの1989年ミュンヘンでのコンサートライブから
この曲特に第1楽章はその類似性からロンドンのバッハと呼んでモーツァルトが生涯を通じて敬意を示していたヨハン・クリスティアン・バッハへのオマージュとして書かれたという説が有力だけど、そうなるとK333という作品番号はつじつまが合わない。
この第3楽章はこの作品で最もモーツァルトの自由が出ている彼の音楽。
Blogの中の猫たち-162 [Blogの中の猫]
僕の写真紀行
minsuke さんちの『みん』さん。
いよいよ明日から師走。 「あッ!…」という間の一年がもう1ヶ月で終わります。
162匹目のブログ猫です。
『みん』さんはさび三毛。ということになるのか。
分類しても仕方がないのだけれど、名前だけではわかりにくいので猫の柄行で画像を整理しております。
この画像の元になったのはPENTAXか何かのチラシか雑誌の上に寝そべっている様子ですね。
背景や猫さんの構図がもう仕上がっていたので小さすぎる写真画像の詳細を他の写真でカバーして描き足すという作業を行わず、わりとスムーズに進んだ一例です。
こういう時って何かトホホな事をやるのですが、原画を複写してJPGに変換し、縮小や何かをやっているとき、忘れるんですねえ原画の上書き。
「あッ…」と思ったときはもう遅いね。
てなわけで、仕上がりの画像はこの小さなサイズしかないのでした。
大体、原画は縮小すると細部が明瞭になるので初めから大きいものを描くのですが、時々やるのです。このトホホを。
昔、以前確か記事にしましたが、ニューヨークタイムズの日曜版のための白黒のサウロロフスの頭部画像で、当時Macを使用していたときの失敗が一番痛い記憶です。
調子がよくとんとんと作業が順調に進むときはこまめに上書きしなければ大きな失敗をすることがたまにあるのです。
夜中の3時頃までかかって一気に描き上げ、「よし」と思った瞬間出た爆弾マーク。泣く泣くリセットしたときのあの素人に咬んで含めるようなバカ丁寧なマックのコメント…思い出しても頭に来る。
以来マックとは手を切ったのでした。
時々、恐竜画像を描いて批評して欲しいという海外の学生さんとかのメールが来ます。
それに『Macで描きました』などと書き添えられてあると、ムカッとしますね。
「Macで描こうが、手で描こうが足で描こうが下手は下手です。」とか思ってしまったり…いい年こいて我ながら人間ができていない。
話があらぬ方向に行ってしまいました。
まあ、失敗しつつもみいこさんの場合は完成直前の画像は残っているのでまあいいかと。
音楽はミヤスコフスキーのチェロソナタ第2番第1楽章を。
通俗的だといわれようが、このノスタルジックな旋律は忘れられない。
フォーレの影響がそこここにあるけれど、このアレグロはとても美しくなつかしい。
ボクが紹介したころは廉価版が一枚だったのですが、いまではたくさんのCDがカタログに載っています。
いい音楽だものね。
Nikolai Miaskovsky Cello Concerto/Cello Sonatas
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: CD Baby.Com/Indys
- 発売日: 2008/04/15
- メディア: CD
Miaskovsky/Prokofiev: Sonatas For Cello & Piano/Falla: Suite Populaire Espagnole
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: Koch Discover Int'l
- 発売日: 1997/11/18
- メディア: CD
Miaskovsky: Cello Conc./Sonata
- アーティスト: Nikolay Myaskovsky,Yevgeny Samoilov,Moscow New Opera Orchestra,Alexander Polezhaev
- 出版社/メーカー: Regis
- 発売日: 2008/01/01
- メディア: CD
Blogの中の猫たち-161 [Blogの中の猫]
みいこのテケテケ散歩みいこさんちの
『みいこ』さん。
非常に描きにくい素材でした。
まず、選んだポーズは絶対これだと思ったのですが、写真がちっちゃくて詳細が捉えにくい。
細かい陰影もみいこさん自体の白と茶色のコントラストの微妙な浸潤が捉えられない。
他の写真でカバーしようと思ったが、、これまた小さい。
モジャさんのときも結構そんな状況だったけれど、みいこさんは徹底している。
確信がないまま目にハイライトを入れていて、『あ、何となくつかまえたかな』と思えた程度。
凄く特徴的な顔なのだけど、描くとそれが希薄になる。
線描の時は結構いいかなと思ったんだけど、結局瞳の色もいくつかの画像から取り入れた最大公約数を精一杯磨き込んだ。
イジで描いた一枚です。ゴメンね。
音楽は久々の合唱曲。ちょっと穏やかな心になりたい。
普段あんまり聴かないのだけれど、たまに聴くとやっぱり捉えられる。
この曲は荒ぶることもなく、ドラマもない。フォーレの作為は円かで豊かであたたかい肉声の深さに潜んで決して浮き上がることがない。
みいこさんも多分、絵のような状況から目を閉じて寝てしまうのだろうけれど、ジジイもこの曲を聴いて寝る。
ガブリエル・フォーレ/ ラシーヌ賛歌op.11 ハルモニウムまたはピアノ伴奏つきの合唱曲であったのだが、今は管弦楽伴奏が一般的になったような気がする。
Blogの中の猫たち-160 [Blogの中の猫]
気分はヴァイオレット
みうさぎさんちの『ころん』君
ブログ猫160匹目はラグドールの壮年。
コロン君。
同じ家に住んでいるアビシニアンの『まお』君よりも露出度が少ない。
ラグドールの瞳はブルーサファイアに細かなヒビが入って光の屈折率が角度によって無数のパターんになったようなミステリアスな光り方をする。
アクリルだったら細目の筆の毛を極端に抜いておいて掃くように色を付けて行く方法があるけれど、デジタルハンドドローでは限界がある。
限界といったけれど、これはあくまで時間的なもので、ソフト的には多分限界はない。
例えばオリジナルの筆やエアブラシを作っておいて、彼の瞳を200倍くらいの大きさで描き、仕上がったところで元の寸法に縮小して他の部分を仕上げた画像にコピーするという方法。
ただ、これは彩度や明度の濃淡をコントロールしないと元の寸法にしたとき暗くなり裡過ぎるかも知れない。
こうやったらできるのかなという想像は広がる。
だけど、古生物のようなオファーに基づく仕事ではなく、あくまでもブログの中で趣味としてやっている猫さん画像にその膨大な時間を費やすわけにはいかないやね。
料理人がコストを考えずに自分の作りたい料理を作るようなもので、うちの大蔵省の頭に(Mikasaurusには角はないのだけれど、オスのMineosaurusの態度いかんではカルノタウルスのような立派な)角が生える。
で、いつものように適当に仕上げている。
ラグドールのブルー(灰色)は少し紫がかっているように見えるし、実際の色合いを見ると白の部分にも何段階ものアイボリーまでのグラデーションがある。
こういう色合いの猫さんはコンピュータが苦手な色合いなのです。何しろ0と1の羅列は色彩のエッジが素晴らしく切れるのが特徴なのですね。
だからボクは敢えてオイルやアクリルを使うように手書きスタイルでオリジナルの筆を作って色を重ねるのです。
4度ほど描き直して妥協しました。
音楽はケルティック・ウーマンの『Someday』
うたいにくい歌だけど、さすがに素直に歌いながら、強張っていない。
Blogの中の猫たち-159 [Blogの中の猫]
チョビ猫のつぶやき
人ちょびさんちの猫ちょび君
ジジイと違って毎月全日更新。ジジイはさぼりにさぼったね。
牛柄君にちょび髭状の模様がある御仁は何匹か描いた。
どうしてなのかね。でもこのちょび髭状の模様を取ったら、これまたたくさんいる。
しかし、仔細に見るとやっぱり髭の一本から違うんだね、
このちょび君も名前は直球だけど一筋縄ではいかなかった。
写真は沢山あるのだけどね。なにしろ『寝子』だから。
目を開けているものはまん丸の室内バージョンの瞳が周りの黒に埋もれてしまっている。
それを描くのは面白いんだけど、最近ちょっとやり方がわかってきた。
そうなると他の方法を試したくなって、気が移ると描きかけでほったらかしにしてしまう。
いかんいかん。
フォルダの中には描きかけの画像がたまりにたまった。
最近のものから少しずつ先に進めようとしておりますが、寄る年波、ブログの更新もたーいへん。
仕事やらなにやら忙しいのと、テンションが上がらない時期が2,3年に一度くらい来る。
これが年齢に起因するものかはわからないけれど、正直、今年の夏はちょっとへバッタね。
涼しくなってきてようやく我に返ってきた。
てなわけで今回は牛柄の直球。『ちょび』君でした。
音楽は最近よく聴いていたショパンの国の早逝の音楽家。NAXOSの膨大な作曲家のストックの中にも名前がない。
そのWho's Who
21歳でこの世を去ったアントニー・ストルペの器楽部門での世界初録音。
でも、この楽章が一番気に入っている。
Blogの中の猫たち-158 [Blogの中の猫]
猫とお花と
ミケシマさんちのシマ君
御主人は相変わらず食べて飲んでるようだね。
でもただ飲んでるのではなくて写真に出てくる花とフェルトで作った動物が可愛い。
趣味なのかな、花の方はどうもプロの仕事みたいだけど。
ミケシマ嬢を描いてからしばらく経。
相方のシマ君の方はさびシマ系で、この種のにゃんこはいくつかスケッチしていたこともあったので後に回っていた。
その中でこの元になった写真は小さくて細かい部分がよくわからない。
割合から言うと動きのある写真が多くて難しかったのだけど、どちらにしようか迷ったのがあった。
でも比べるとこの写真のデッサンが圧倒的に表情が漫画っぽくてメリハリがきいていた。
漫画っぽさを何とか残せたろうかね。
ころっとした丸顔と丸く短い耳、鼻のちょこんとした色合い。
イリオモテヤマネコを彷彿とさせる。
頭が良さそうで親密な男っぽさもある。(おとこ…だよな。)
例によってタイムリミットがあるので仕上がりが荒い。
でも、その方が味が出ることもあるね。
音楽はレスピーギのピアノのための6つの小品作品44から最後の6曲目間奏曲-夜想曲
レスピーギのピアノ曲はサロン風でどれも決して荒ぶることはない。
『これをしなければならない』と固く決めたいくつかの心の中に立てた柱の隙間を優しく吹く風のように慰撫して行く。
古楽と教会旋法の研究とシンフォニックな管弦楽の研究を積み、そのベースにこういうほんとに作為のない抒情を醸し出す。
Blogの中の猫たち-157 [Blogの中の猫]
にゃんらいふ
空の Ray さんちのツクシ姫
このブログの主は6月20日から更新がない。
でも、そんなことは関係なくて、この主に飼われているニャンズは2匹はもとても魅力的だ。
マッシヴな野性を感じさせるそらちゃんと優雅な姿をしているこのツンちゃんことツクシ姫。
6月には体調不良から脱したのかね。
7月から全く音沙汰ないのでわからないけれど、メインのサイドに貼ってある写真をスケッチした。
カゼを惹くと感覚が狂うのか、目と鼻を中心とした三角点がずれる。いつものように全体から行くとどうにも横に広くなる。
今回は逆に小さく目と鼻の位置からコンパクトに描きながら少しずつ外側に移っていった。
下書きの線が今回は沢山残ったけれど、一本一本毛並みの色で消してゆくのをやめた。
つまり、適当に掴めたらいいではないかと。
ソファか何かに保たれているのか
横向きの写真なのに目の焦点が右にある。
Reyさんが右側にいて誰かが撮ったのか右側に彼女の気を引くものがあったのか。
後者かなあ。目の先に外が見える窓でもあるんだろうかね。
ジジイもだいぶくたびれてきてようやく157匹目。
最近猫の仕事が回ってきたりする。
Paypal決済を知ってるということは、個人的にジジイに古生物画像を発注した方かも知れない。
こっちの方はまだ仕事ではないと丁寧におことわりした。
今は昼間の仕事が忙しくて高解像度で大きな画像を描く暇がない。
でも、このツンちゃんだって原画は320dpi。立派に印刷に堪えられるのだけど、原画が小さい。
ブログで紹介するのはjpgだけど結構解像度を上げている。
観る分には十分だと思うけど、どんなもんだろうか。
音楽はアナトーリ・リャードフ4つの小品作品64
この人はようわからん。怠け者なのか、自己批判が強いのかあんまり作品が残っていない。
ピアノの小品は結構多いのだけど、こういう風に作品番号がついているものが、一般的によく知られているにすぎない。
この音楽自体隙間の音楽だけれど、何処か憧れのようなものが聴けてボクには時々ショパンなどより素直に入ってくる。